米津玄師は、なぜ今も絵を描き続けているのだろう。
彼は「漫画に詳しい音楽家」というだけではない。子どものころは漫画家になりたくて、10代にはバンド・デシネの巨匠メビウスの絵に惹かれ、ハチとして活動を始めてからは自分の楽曲の映像まで手がけた。音楽家として知られるようになった後も、アルバムジャケットやアニメ作品のキャラクターを自分の手で描き続けている。
その歩みをたどると、二つの疑問が生まれる。どんな漫画や作家が、米津の目に残ったのか。そして、その感覚はどんな絵や音楽になったのか。
2017年のインタビューで本人は、かつて自分の中に絵と音楽という二つの表現方法があり、動画投稿によって二つを組み合わせられたと語っている。2024年には、描き下ろした『LOST CORNER』のジャケットが自画像であることも明かした。
この記事では、少年ジャンプからメビウス、漫画版『風の谷のナウシカ』、五十嵐大介、藤本タツキまで、米津が読んできた漫画と、米津自身が描いてきた絵を一緒にたどる。本人が語った制作意図と、記事独自の読み解きは区別して紹介したい。
主要出典:Real Sound|米津玄師のバンド・デシネ観(2016年)、Billboard JAPAN|『チェンソーマン』と漫画家への憧れ(2022年)、集英社|2026年の本人推薦作品
漫画家を夢見た少年時代|『NARUTO』が教えた「描きたい」という気持ち
米津玄師の絵について考えるなら、まず音楽家になる前へ戻りたい。2017年、Billboard JAPANの『BOOTLEG』インタビューで、米津は昔、本気で漫画家を目指していたと振り返っている。絵を描くことが好きだったのは、本人の説明によれば親の影響もあったのかもしれないという。
2026年の集英社の推薦企画では『NARUTO―ナルト―』を、自分が漫画家に憧れたきっかけとして挙げた。子どものころに登場人物を何度も模写し、岸本斉史の絵に近づこうとしていたという。描くことへの憧れは、漫画を読んで終わりではなく、自分の手を動かすことにつながっていた。
やがて音楽への関心が大きくなっていく。ただし、音楽を選んだ瞬間に、絵への関心が消えたわけではない。2017年の取材で本人は、その時点ですでに自分の中に絵と音楽の二つの表現方法があった、と説明している。
ここから先を「漫画家を諦め、仕方なく音楽家になった」と語るのは違うと思う。音楽と絵は、当初から別々の棚に入っていたわけではなかった。むしろ、後に二つを同時に使える場所を見つけたことが大きかったのだ。
出典:Billboard JAPAN|『BOOTLEG』インタビュー(2017年)、集英社|米津玄師が選んだ漫画(2026年)。
ハチの時代|絵と音楽が初めて同じ作品になった
米津は2009年から「ハチ」名義でニコニコ動画へオリジナル楽曲を投稿し始めた。公式プロフィールに残る活動履歴には、楽曲の制作だけでなく、イラストや動画も自ら手がけてきたことが記されている。
2017年のインタビューで本人は、ニコニコ動画に出会ったことで絵と音楽という二つの表現方法をうまく組み合わせられた、と振り返った。音楽家だから音楽だけ、絵描きだから絵だけという区切りは、もともと自分の中になかったという。
この言葉は、ハチのMVを見直すと実感しやすい。楽曲、登場人物、色、場面の切り替わりが一つの作品として結びついている。音楽の付属品として絵があるというより、耳で受け取る音と、目で受け取る絵が、同じ表現の別の部分を担っている。
たとえば2013年の「ドーナツホール」。ハチ自身が楽曲制作とMV制作を担当したことを公式サイトが明記している。GUMI、初音ミク、巡音ルカ、鏡音リンというキャラクターを本人が描いた、当時の代表的な映像表現だ。
出典:米津玄師公式プロフィール、Billboard JAPAN(2017年)、REISSUE RECORDS|『ドーナツホール』の制作履歴。
『アイネクライネ』|絵と音楽を、自分一人で物語にした作品
米津玄師名義で活動を始めた後も、自ら絵を描く制作は続いた。2014年の「アイネクライネ」は、そのことが最も分かりやすい作品の一つだ。
公式サイトによれば、このMVは米津本人が作詞作曲だけでなく、企画、イラスト、編集まで一人で制作したアニメーション。公式YouTubeの説明欄にも、音楽・映像・絵を本人が手がけたと記されている。
登場人物の仕草、表情、場面のつながりを見ていると、曲の世界を歌詞だけに閉じ込めようとしていないことが分かる。絵は音楽を説明する図ではなく、言葉と同じように感情を運ぶ表現手段なのだろう。これは作品を見たうえでの解釈だが、「映像まで本人が制作した」という事実がその読みを支えている。
またアルバム『YANKEE』には、描き下ろしのイラストや漫画を収録した画集盤が用意された。CDの隣に絵を置くのではなく、絵も音楽と並んで作品として届けていたことが分かる。
出典:米津玄師公式|『アイネクライネ』MV制作情報、公式MV・アルバム『YANKEE』画集盤の案内。
では、絵を描く米津玄師は、どんな漫画を見てきたのか
自分で描いてきた人だからこそ、好きな漫画家の絵をどう見ていたのかが気になる。少年漫画の物語への憧れだけでなく、風景を描く線、広い空間、人物の輪郭、独特の物語世界に惹かれた経験が、本人のインタビューに残っている。
ここからは、米津が名前を挙げた作家と作品をたどろう。影響が明言された例と、作品同士を並べて考えられる共通点は、分けて紹介する。
バンド・デシネとメビウス|10代から惹かれた、もう一つの漫画文化
米津玄師の漫画遍歴を少年ジャンプだけで語ると、大事な一角が抜け落ちる。フランスやベルギーなどのフランス語圏で育まれた漫画文化「バンド・デシネ」だ。
2016年のReal Soundのインタビューで、米津は10代の頃からバンド・デシネがとても好きだったと明言している。とりわけ名前を挙げたのが、フランスの漫画家・イラストレーター、メビウス(ジャン・ジロー)。彼の描く広大な風景、とくに砂漠のイメージが深く残っていたという。
バンド・デシネは、日本の漫画と別世界にあるものではない。さまざまな作家が独自の画風やコマ割りを追求し、物語だけでなく画面そのものを味わう文化でもある。米津がどの作品をいつ読んだか、完全なリストは公開されていない。それでも、メビウスの名前が自身の音楽制作を語る中で具体的に出てくることには、重みがある。
例えばメビウスの作品を実際に手に取りたい人には、2009年に日本で刊行された『B砂漠の40日間』がある。ただし米津本人がこの本を読んだと確認できたわけではない。本人の言葉に出てくる「メビウスと砂漠」という感覚を知るための関連作品として紹介しておきたい。
漫画家の名前だけで影響源を探すとき、いつも注意したいのはこの区別だ。「メビウスの画風に惹かれたこと」と「特定の一冊を愛読していたこと」は同じではない。
本人の発言:Real Sound|『LOSER / ナンバーナイン』インタビュー(2016年)。関連書誌:国立国会図書館|メビウス『B砂漠の40日間』。
メビウスの「砂漠」は、なぜ『ナンバーナイン』『砂の惑星』へつながったのか
2016年、米津は展覧会『ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~』の公式イメージソング「ナンバーナイン」を制作した。フランス語圏の漫画文化と深く関わる展覧会で、本人がかねて親しんでいた表現世界と仕事が結びついた機会だった。
このとき本人が曲の出発点として挙げたのは、遠い未来、東京が砂漠になったらという想像だ。砂漠は生命の暮らしにくい場所であり、滅びを連想させる。一方、何もない空間にはどこか清々しい、救われるような感覚もあると語っている。
米津が「砂漠」を単純な荒廃や絶望の象徴として使っていたわけではないことが興味深い。空っぽだからこそ、そこに残った人間や建造物、芸術が浮かび上がる。2016年のインタビューでは、未来の人が自分の音楽や絵の断片を受け取るかもしれないという、創作の継承についても触れていた。
このイメージは翌2017年にも続く。J-WAVEで本人は、メビウスの砂漠の記憶が「ナンバーナイン」を経て「砂の惑星」に表れたと説明した。しかもアルバム『BOOTLEG』の制作時には砂漠を主題にした曲が重なり、仮タイトルが『DUNE』だったことまで明かしている。
だからこの二曲は、単に歌詞に「砂」という言葉が共通するだけではない。メビウスの絵に惹かれた感覚が、楽曲を作る際の風景の選び方へつながったことを、本人の言葉で確認できる数少ない例だ。
ただし「砂の惑星」はボーカロイド文化に対する批評を含む楽曲でもあり、本人もニコニコ動画の状況に否定的な意味を込めたと語っている。メビウスだけですべてを説明できる曲ではない点にも留意したい。
出典:J-WAVE|「ナンバーナイン」制作インタビュー(2016年)、J-WAVE|「砂の惑星」と『BOOTLEG』インタビュー(2017年)、Real Sound|『BOOTLEG』インタビュー(2017年)。
漫画版『風の谷のナウシカ』|メビウスとの接点であり、「飛燕」の原風景
メビウスの漫画と米津をつなぐもう一つの重要な作品が、宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』だ。
2016年の取材で米津は、バンド・デシネに入っていく入口が『ナウシカ』だったと振り返っている。宮崎駿の作品とメビウスとの関係を知り、そこからフランスの漫画へ関心が向かったという。
『ナウシカ』は映画としても広く知られているが、原作漫画はより長い物語を持ち、生命や文明のあり方を深く問う作品でもある。2017年のインタビューで米津は『BOOTLEG』の冒頭曲「飛燕」について、ナウシカをイメージして作ったと語った。音楽ナタリーの取材では、漫画版を読みながら制作したことも説明している。
さらに2023年の映画『君たちはどう生きるか』に関するインタビューでは、青年期に読んだ漫画版『ナウシカ』の結末が、自分の考え方に大きな影響を与えたと振り返っている。そこでの関心は、単に壮大な風景や魅力的な主人公という次元を超え、生命をどのように肯定するかという問題に及んでいた。
『飛燕』という曲のすべてが『ナウシカ』の物語をなぞっているわけではない。ただ、漫画から受け取った価値観を、自分が音楽家としてどう生きたいかという気持ちへ変換したことは、本人のインタビューから確かめられる。
出典:Real Sound|バンド・デシネとの出会い(2016年)、音楽ナタリー|「飛燕」と漫画版『ナウシカ』(2017年)、音楽ナタリー|「地球儀」インタビュー(2023年)。
五十嵐大介『海獣の子供』|18歳の頃に受けた、絵そのものの衝撃
日本の漫画家の中で、米津が強い憧れを語っているのが五十嵐大介だ。代表作『海獣の子供』との出会いは、映画化に際して公開された本人同士の対談に詳しい。
18歳頃、地元の徳島から大阪へ出てきた米津は、都会の大型書店に通い、地元では出会えなかった作品を吸収していた。その中で見つけたのが五十嵐の漫画だった。知らない世界の描き方に驚き、絵の到達点の高さに圧倒されたという。
重要なのは、これは単なる音楽家から漫画家への賛辞ではないこと。自分も漫画家になりたいと思っていた少年が、自分ではとても描けないと思うほどの絵に出会った体験だ。2019年の対談では、そのときの衝撃を本人が直接語っている。
2016年の『ルーヴルNo.9』内覧会では五十嵐大介本人と初めて顔を合わせ、その後交流が始まった。さらに2019年には映画『海獣の子供』の主題歌「海の幽霊」を制作している。少年時代に憧れた作家の世界へ、自分の音楽を通して参加することになったのだ。
本人が五十嵐大介のすべての作品を読破したといった情報はない。『魔女』『リトル・フォレスト』『ディザインズ』などは五十嵐の代表的な作品として挙げられるが、米津による個別の愛読証言と混同しないでおきたい。本人が具体的に出会いと感想を語った作品は『海獣の子供』である。
出典:映画『海獣の子供』公式|五十嵐大介×米津玄師 特別対談、米津玄師公式|「海の幽霊」特設ページ。
松本大洋|青年期に惹かれた、少年漫画とは違う絵の表現
2017年、『僕のヒーローアカデミア』原作者・堀越耕平との公式対談で、米津は影響を受けた漫画家について尋ねられたとき、岸本斉史に続いて松本大洋と五十嵐大介を挙げた。いずれも青年になってから好きになった作家だという。
松本大洋は『鉄コン筋クリート』『ピンポン』『Sunny』『ルーヴルの猫』などで知られる漫画家。人物の身体の動き、独自の線、都市の描き方など、作品によって異なる表情を見せる。
米津が松本大洋のどの作品を特に愛読し、どの楽曲へ取り入れたのかは、この対談では具体的に語られていない。したがって「『鉄コン筋クリート』が米津の代表曲に影響した」などと書く根拠はない。
ただ、少年ジャンプの岸本斉史から、青年になって松本大洋や五十嵐大介へと関心が広がったという本人の説明には、読み解く価値がある。物語の面白さだけでなく、絵の線や空間の作り方そのものに惹かれていた可能性を考えられるからだ。ここは断定ではなく、彼の発言と作家たちの表現を並べて見た記事としての見立てだ。
本人の発言:『僕のヒーローアカデミア』公式|堀越耕平×米津玄師対談。作品情報:小学館|松本大洋の著作一覧。
羽海野チカ『ハチミツとクローバー』『3月のライオン』|感情の揺れに惹かれる
米津の好きな漫画を語るなら、羽海野チカも欠かせない。2017年の『orion』発売時のインタビューで、米津は『ハチミツとクローバー』がもともと大好きだったと明かした。
さらに『3月のライオン』について、明るさやユーモアの中に、人の心の繊細な動きを描き切ろうとする表現に惹かれていると話している。Real Soundの取材では、原作が以前から好きだったため、エンディング曲の依頼を受けたことが非常にうれしかったという。
2017年の「orion」は、まさに『3月のライオン』のアニメのために書き下ろされた曲だ。好きだった漫画の世界へ、音楽家として自分の曲を差し出すという構図は、五十嵐大介の『海獣の子供』にも通じる。
砂漠の広大な風景に心を動かされる一方、日常の小さな感情の揺らぎにも心を向ける。米津玄師が漫画に求めてきたものは、決して一種類ではない。
出典:MEETIA|「orion」制作インタビュー(2017年)、Real Sound|「orion」と『3月のライオン』、米津玄師公式|「orion」。
藤本タツキ『ファイアパンチ』|ほとんど同世代の漫画家が与えた衝撃
米津玄師と藤本タツキの関係は、アニメ『チェンソーマン』の主題歌「KICK BACK」から始まったわけではない。
2025年に映画『チェンソーマン レゼ篇』の公式サイトで公開された対談で、米津は『ファイアパンチ』の第1話がネット公開されたころに作品を読み、大きな衝撃を受けたと話している。しかも作者が自分とほとんど同世代だと知り、刺激されたという。
2022年のBillboard JAPANでも、藤本の『チェンソーマン』について、想像力を実際の絵として出力する力に圧倒されていると語っていた。漫画家になりたかったという自分の原点があるからこそ、同世代の作家が新しい表現を作り出す姿は、特別な意味を持ったのかもしれない。
『ファイアパンチ』の衝撃と、その後の『チェンソーマン』、さらに自身の「KICK BACK」「IRIS OUT」という仕事を並べると、読者として驚いた相手と、のちに同じ作品づくりの場で向き合うというつながりが見えてくる。
ただし、本人が『ファイアパンチ』のどの具体的なコマをどの楽曲に取り入れたかについては確認できない。作品同士の似た演出を根拠なく結びつけるより、本人の衝撃と創作者への敬意を中心に捉えたい。
出典:劇場版『チェンソーマン レゼ篇』公式|藤本タツキ×米津玄師 対談(2025年)、MEN’S NON-NO WEB|「KICK BACK」インタビュー(2022年)、Billboard JAPAN|「KICK BACK」インタビュー(2022年)。
絵を描くことを、米津玄師はやめなかった
ここまで漫画から受けた影響を見てきたが、もう一度、米津自身の手元へ戻ろう。ボーカロイド時代や2014年の「アイネクライネ」のあとも、絵は彼の活動から消えていない。
むしろ近年のアルバムやシングルには、本人の描き下ろしイラストをジャケットの中心に据えた作品が続いている。そして、かつて自分で描いたキャラクターを11年後に新しく描き直した例まである。
2024年『ドーナツホール』|11年前のキャラクターを自分で描き直す
2024年9月、ハチ名義の「ドーナツホール」に新たなアニメーションMVが生まれた。2013年に自分で制作した映像から、11年後の再訪だった。
公式発表によると、今回も米津本人がGUMI、初音ミク、巡音ルカ、鏡音リンのキャラクターを新しく描き起こし、その原画と原案をもとにProduction I.Gらのスタッフが映像化した。2013年版は本人が映像まで手がけたが、2024年版のアニメーション制作まで全工程を一人で行ったわけではない。この違いも、創作の変化を考えるうえで大事だ。
本人が公開した動画の説明文には、久しぶりに作り、少年漫画のような表現を目指したという趣旨の言葉がある。子どものころ夢中で模写した漫画の世界が、ハチ時代のキャラクターを描き直すときにも一つの手がかりになっていたことが分かる。
当時のビジュアルと新しい絵を比べると、同じキャラクターを使っていても、衣装や線、画面の密度が違う。過去の絵をそっくり再現するのではなく、今の自分の絵として作り直しているところが面白い。これは二つのMVを見比べたうえでの編集部の感想だ。
2024年『LOST CORNER』|初めてアルバムの表紙に描けた「自画像」
2024年のアルバム『LOST CORNER』のジャケットにも、本人が描いた人物の顔がある。Billboard JAPANのインタビューで、その人物が誰なのか尋ねられると、米津は自画像として描いたと答えた。
ただし、実際の本人の顔を写実的に再現した絵ではない。米津は、顔をデフォルメし、アニメ的な表現を加えたことで、自分自身でありながら自分ではないものとして感じられる、と説明している。
興味深いのは、以前の自分なら、そもそも自画像を描いてアルバムのジャケットにすることはできなかっただろう、と本人が振り返っている点だ。2024年の彼にとって、自分を描くという行為は、自分との距離の取り方が変わったことを表すものでもあった。
誰かが作ったキャラクターの絵だけでなく、自分自身を描く。それも、どこまでが実際の自分で、どこからが作り上げられた人物像なのかを考えながら描く。漫画やアニメに親しんできた表現者だからこそ、現実の自分をそのまま写すのではなく、絵の中の「自分」という形にできたのかもしれない。
本人はこの話を、SNSなどで他人から見られる自分のイメージと、自分が守りたい内面との距離について語る流れの中で説明していた。絵は音楽の飾りではなく、自分をどのように世の中へ差し出すかという意思表示にもなっている。
作品のジャケットは米津玄師公式『LOST CORNER』特設ページで見られる。本人が描いたイラストであることも公式に明記されている。
出典:Billboard JAPAN|『LOST CORNER』インタビュー(2024年)、米津玄師公式|ジャケット公開。
2025年『Plazma』『BOW AND ARROW』|作品への敬意を、絵でも表現する
2025年の『Plazma』と『BOW AND ARROW』でも、米津はジャケットのイラストを自分で描いている。
『Plazma』では『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』のマチュとニャアンを、『BOW AND ARROW』では『メダリスト』の結束いのりを描き下ろしたことが、それぞれ公式サイトで確認できる。
ここで注目したいのは、自分が描きたいオリジナルの人物だけでなく、ほかの作家たちが生み出したキャラクターを、自分の絵として描いていること。
子どもの頃、『NARUTO』の登場人物を模写していたというエピソードを思い出す。もちろん2025年のジャケットは仕事として制作されたもので、少年時代の練習と同列ではない。それでも、もともと他人の作品に憧れて描き始めた人が、今は音楽の仕事と同時に描き手としてもその世界へ参加している、という時間のつながりはある。
本人がどこまで作品のタッチを意識したかという詳しい技術的な解説は、この二つの公式発表だけでは分からない。だから絵柄を特定の作家から直接引用したとは断定せず、公式に確認できる制作事実を出発点にしておきたい。
実際のジャケットは『Plazma』の公式発表、『BOW AND ARROW』の公式発表で確認できる。
2025年『IRIS OUT / JANE DOE』|レゼを描き、1枚の絵を二つに分ける
劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のために制作されたシングル『IRIS OUT / JANE DOE』でも、米津は自身でジャケットを描いた。
2025年のBillboard JAPANのインタビューで本人は、藤本タツキのキャラクター・レゼを、原作にある誘惑するような魅力を大切にして描いたと説明している。そして二つのジャケットを用意する際、レゼの全身を一つ描き、上半身と下半身に分けるという構想を持っていたことを明かした。
これは音楽を発表した後に別の人へビジュアル制作を任せるのとは異なる。歌の中でどう人物を捉えるかと、どのように絵として見せるかが、同じ作り手の中で結びついている。二枚を並べることではじめて全身が想像できる構造も、漫画のコマや画面構成を楽しむ人にとって興味深い。
ただし、ジャケットを「漫画のコマ割りから着想した」と本人が明言したわけではない。この部分は絵の構成に対する記事の考察だ。
本人の発言:Billboard JAPAN|『IRIS OUT / JANE DOE』インタビュー(2025年)。ジャケット:米津玄師公式|シングル発売情報。
2026年、米津があらためて選んだ漫画6作品
描き手としての歩みを見た後で、集英社が2026年7月に公開した本人の推薦作品を読み返してみると、新しい発見がある。
本人が「思い出に残っている作品」に挙げたのは『NARUTO』『ヒカルの碁』『DEATH NOTE』。一方、「いま読んでほしい作品」には『チェンソーマン』『僕のヒーローアカデミア』『キングダム』を選んだ。
これらは集英社の企画の中で紹介された6作品であり、米津の読んだ漫画の全リストではない。バンド・デシネや五十嵐大介、松本大洋、羽海野チカを除外して「好きな漫画は6作しかない」と理解してはいけない。時間を経て、いま本人がどう作品を語るかを示す資料として読んでいこう。
ここまで取り上げたメビウス、宮崎駿、五十嵐大介、松本大洋、羽海野チカ、藤本タツキが、米津玄師の漫画遍歴のすべてではない。2026年7月には、集英社の創業100周年企画で、思い出に残る3作品と、いま読んでほしい3作品を紹介している。
こちらの6作品は、あくまで集英社の企画に本人が選んだもの。他社作品や海外の漫画を含めた生涯のベスト6ではない。その前提で読むと、昔の作品を大人になってどう受け止め直しているのかがよく見えてくる。
集英社の特設ページでは「思い出に残っている作品」と「いま読んで欲しい作品」の2つに分けて紹介されている。この区分が、今回の記事ではとても大事だ。
| 本人による分類 | 作品 | 作者 |
|---|---|---|
| 思い出に残っている | 『NARUTO―ナルト―』 | 岸本斉史 |
| 思い出に残っている | 『ヒカルの碁』 | 原作:ほったゆみ/漫画:小畑健 |
| 思い出に残っている | 『DEATH NOTE』 | 原作:大場つぐみ/漫画:小畑健 |
| いま読んで欲しい | 『チェンソーマン』 | 藤本タツキ |
| いま読んで欲しい | 『僕のヒーローアカデミア』 | 堀越耕平 |
| いま読んで欲しい | 『キングダム』 | 原泰久 |
集英社のページには、前半の3作品について米津本人による長めのコメントがある。後半の3作品は推薦作品として挙げられているが、この掲載ページで詳細な推薦理由まで記されているわけではない。そのため後半は、ほかのインタビューや公式な制作情報を手がかりに読む。
出典:集英社|米津玄師「わたしの推薦図書」。作品の表紙画像・本人コメントも同ページで確認できる。
『NARUTO―ナルト―』|模写した記憶と、創作への憧れ
米津にとって『NARUTO』は、読んで楽しんだ漫画というだけではない。2026年の推薦コメントで、初めて手にした『週刊少年ジャンプ』の作品であり、漫画家になりたいと思うきっかけだったと明かしている。
小学生のころ、スケッチブックに登場人物を繰り返し模写した。しかし描けば描くほど、岸本斉史の画力との差を痛感したという。漫画家という仕事を諦める気持ちにつながったことまで、本人は率直に振り返っている。
ここが興味深い。好きなものに近づこうとした結果、自分の進む道が変わった。憧れがそのまま職業にはならなくても、そこで身についた感性まで消えるわけではない。
2017年の『僕のヒーローアカデミア』関連インタビューでも、米津は『NARUTO』『ONE PIECE』といった少年漫画が自分のルーツだと説明していた。そして少年ジャンプ的な音楽を作りたい、という思いも語っている。ヒーローが誰かを救う物語や、未熟な主人公が前へ進んでいく物語。そうしたものへの憧れは、音楽を始めた後にも残り続けたのだろう。
ここで「『NARUTO』のどの場面が、どの楽曲になった」と対応づける必要はない。本人が確かに語っているのは、作品が漫画家への憧れを生み、創作の土台となったという事実だ。
出典:集英社|本人の推薦コメント、Real Sound|「ピースサイン」制作インタビュー(2017年)、アニメ『僕のヒーローアカデミア』公式|堀越耕平×米津玄師対談
『ヒカルの碁』|大人になって読み直す、喪失の物語
『ヒカルの碁』についてのコメントには、米津が物語をどう読むかがよく表れている。
中学生のころ、周囲でも流行していて、友人が漫画をきっかけに囲碁を始めたことを覚えているという。だが大人になって読み直すと、昔とは印象が大きく変わったそうだ。
本人が特に注目するのは、喪失を経験しながら成長していく主人公の姿。年齢を重ねると、かつて大切だったものと離れざるを得ない経験も増える。だからこそ、少年が何かを失いながら前進する物語の美しさが、以前とは違って感じられるのだろう。
これは『ヒカルの碁』が特定の楽曲の原作になったという話ではない。同じ作品を時間を置いて読み直すことで、自分自身の変化に気づくという、作品との付き合い方の話だ。
2026年の今、昔の作品にあらためて光を当てた本人の視点も含めて読みたいコメントだと思う。
『DEATH NOTE』|自分の作品が人に伝わるということ
『DEATH NOTE』についてのエピソードは、今回の6作品の中でもとりわけ印象的だ。
中学から高校にかけて同作が人気だった時期、米津のクラスには、毎週読んでいながら重要な展開を十分に把握できていなかった同級生がいたという。本人はその出来事を、いまも音楽を作るときにふと思い出すと書いている。
そのエピソードから浮かぶのは、創作者の意図と、受け手の体験の間にある距離だ。作者がどれほど複雑な構造や仕掛けを用意しても、受け手がそのすべてを同じように受け取るとは限らない。それでも、ある人にとっては別の楽しみ方が成立するのかもしれない。
米津が気にしているのも、まさにそこだ。自分の音楽がそのような人にも届くのか。そして、違った受け取り方を許す表現になっているのか。
物語を理解できたかどうかだけで作品の価値は決まらない。むしろ、異なる読み手が異なる場所から入れることも、大衆に届く表現の一つの強さなのではないか。この読み方は記事としての考察だが、本人が紹介したエピソードは、その問題を考える具体的な手がかりになっている。
なお、ここでは同作の重要なネタバレとなる詳細には触れない。気になる人は原文を読み、作品そのものにも触れてほしい。
出典:集英社|米津玄師の『DEATH NOTE』推薦コメント
『チェンソーマン』|読者から楽曲の作り手へ
集英社が「いま読んで欲しい作品」として掲載した3作品のうち、音楽との結びつきが最もよく知られているものの一つが藤本タツキの『チェンソーマン』だ。
米津は2022年のBillboard JAPANインタビューで、原作を読んだ段階からアニメ化されたらぜひ音楽を担当したかったと語っている。その願いが実現した曲が「KICK BACK」だった。
注目したいのは、依頼されたから原作を調べたのではなく、もともと好きだった物語に、自分の音楽を持ち込める機会が訪れたこと。彼にとって、漫画と音楽の関係は単なるタイアップ契約ではない。
この曲は常田大希と共同で編曲され、モーニング娘。の楽曲をサンプリングするなど、音の選び方にも特徴がある。物語の荒々しさと曲の勢いが重なって聴こえるのは自然だが、細かなフレーズの意味まで原作の場面と一対一で対応させることは避けたい。
2025年には劇場版『チェンソーマン レゼ篇』でも「IRIS OUT」を担当した。ひとつの作品世界と時間を置いて再び出会っていることも、他の推薦作品との違いだ。
出典:Billboard JAPAN|「KICK BACK」制作インタビュー(2022年)、米津玄師公式|「KICK BACK」MV公開、Billboard JAPAN|「IRIS OUT」インタビュー
『僕のヒーローアカデミア』|少年漫画への憧れと「ピースサイン」
堀越耕平の『僕のヒーローアカデミア』も「いま読んで欲しい作品」に選ばれた。2017年にはアニメのオープニング曲として「ピースサイン」を発表している。
米津は当時、少年時代に聴いたアニメソングや、自分が憧れた王道の少年漫画の世界を意識したと語っていた。小学生のころ『NARUTO』を読んで漫画家に憧れた人物が、大人になって別の少年漫画の主題歌を作る。ここには一つの連続性がある。
公式サイトでは、原作者の堀越耕平との対談も公開されている。米津は特に影響を受けた漫画家として岸本斉史を挙げ、成長してから好きになった作家には松本大洋、五十嵐大介の名前も出している。6作品のリストだけでなく、どんな絵や世界観に惹かれてきたのかを考えるうえでも貴重な証言だ。
音楽と漫画では表現手段が違う。それでも、物語を受け取る人に高揚感を与えるという点で、彼の中では遠い存在ではないのかもしれない。
出典:『僕のヒーローアカデミア』公式|堀越耕平×米津玄師対談、rockin’on.com|「ピースサイン」インタビュー(2017年)、ソニー・ミュージックレーベルズ|「ピースサイン」公式発表
『キングダム』|物語を音楽として引き受ける
原泰久の『キングダム』も、集英社が掲載した「いま読んで欲しい作品」の一つだ。
2026年には、映画『キングダム 魂の決戦』の主題歌として米津の「夜鷹」が発表されている。集英社の推薦リストと同じ年に、音楽の仕事としてもつながった作品ということになる。
ただし、推薦作に入っていることと、楽曲制作における直接的な影響の程度は別の話。作品が好きだからといって、歌詞の具体的な意味が原作のある一場面を指すとは限らない。
米津は2026年のBillboard JAPANインタビューで、フィクションの持つ力や「夜鷹」という楽曲の原風景についても語っている。映画主題歌としての役割と、作者自身の過去の記憶や物語への関心が交わる場所を読むことで、この曲の姿が見えてくる。
出典:集英社|『キングダム』推薦掲載、米津玄師公式|「夜鷹」特設サイト、Billboard JAPAN|「夜鷹」制作インタビュー(2026年)
まとめ|「好きな漫画」は、米津玄師自身の絵へと続いていた
米津玄師が好きな漫画を知りたい。そう思って調べ始めると、やがて本人が描いてきた絵へと行き着く。
小学生のころは『NARUTO』に憧れて登場人物を模写していた。少年時代にはメビウスや宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』に心を動かされ、青年期には五十嵐大介や松本大洋らの表現にも惹かれた。そして自分の音楽を作り始めると、音と絵を一緒に届ける方法を自然に選んでいった。
ハチとして描いた『ドーナツホール』、自分一人で絵と映像を完成させた『アイネクライネ』。メビウスの砂漠が形を変えて現れた『ナンバーナイン』『砂の惑星』や、漫画版『ナウシカ』を思い描いた『飛燕』。さらに『海獣の子供』の主題歌「海の幽霊」や、羽海野チカの『3月のライオン』のための「orion」。漫画から受け取ったものは、必ずしも絵だけでなく、音楽に変わることもあった。
一方、2024年には『ドーナツホール』のキャラクターを描き直し、『LOST CORNER』ではそれまで描けなかったという自画像をジャケットにした。2025年には『Plazma』『BOW AND ARROW』『IRIS OUT / JANE DOE』で他の作品のキャラクターを自ら描いている。
音楽家になったから絵をやめたのではない。絵を描く自分を残したまま、音楽家になった。
もちろん、漫画家になることと、音楽家としてイラストやMVを制作することは同じではないし、すべての楽曲が漫画の影響から生まれたわけでもない。本人が直接影響を語った事実と、作品を見た僕らが感じる共通点は分けておく必要がある。
ただ、2017年のインタビューで米津が語ったことは印象的だ。絵や音楽は、他人とつながるためのコミュニケーションでもあるという。子どものころ、描いた絵を褒められてうれしかった記憶についても語っていた。
そう考えると、いま米津玄師のジャケットを眺めることにも意味がある。そこには曲の内容だけではなく、漫画を読んで育った一人の描き手が、今の自分をどう表現したいと思っているのかが残っているからだ。
歌を聴きながら、絵も見る。漫画を読みながら、歌を聴き直す。その往復の中で、米津玄師という表現者を、もう少し立体的に感じられるのではないだろうか。
本人の発言:Billboard JAPAN|絵と音楽、表現とコミュニケーション(2017年)、Billboard JAPAN|自画像と自己表現(2024年)、REISSUE RECORDS|『ドーナツホール 2024』原画制作。
米津玄師のカルチャーをもっとたどる
米津玄師が影響を受けた作品は、漫画だけではない。ゲームの世界にも大切な原体験がある。
米津玄師に影響を与えた3つのゲーム|『ごめんね』とUNDERTALEの関係まで
また、『ゴーゴー幽霊船』『海の幽霊』などを通して、目に見えない存在への関心をたどった記事はこちら。
米津玄師はなぜ「幽霊」を描くのか?|『ゴーゴー幽霊船』からツアー『GHOST』まで
そして音楽的な原点については、米津玄師に影響を与えたバンドと音楽で掘り下げている(公開後にリンクが有効になります)。


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