山口一郎を支えた
カルチャーとは。
の
内側
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人は、自分の感覚を
どこで見つけるのか。
サカナクション・山口一郎を、作品の名前から読み解く。
山口一郎という人は、不思議なほど振れ幅が大きい。冗談を交えながら日常を話す一方で、文学や音楽について語り始めると、言葉の選び方が変わる。彼の周囲には、詩人、フォークシンガー、英国のロックバンド、電子音楽家、映画監督、彫刻家、ファッションデザイナーまで、さまざまな名前が登場する。
では、それらは単なる「好きなもの」なのだろうか。
本人のインタビューを読んでいくと、少し違う輪郭が見えてくる。自分の中にある、まだ名前のない感覚をどう理解するか。そして、それを他人にどう届けるか。 山口一郎は、ジャンルの異なる表現に触れるたび、その問いを別の角度から考えてきたように見える。
この記事では、山口本人が作品名や作者名を挙げた発言を軸に、文学→音楽→映画→美術→ファッション→自分自身の言葉という道筋をたどる。好みをランキングにするのではなく、「なぜそれが重要だったのか」を考えてみたい。
この記事の読み方 「本人が語ったこと」と「資料を読み合わせた編集部の解釈」は区別して記した。年代の異なる発言を一本の人生哲学として断定するものではない。また、紹介する作品を本人がすべて現在も愛用・鑑賞しているとは限らない。
01文学は、音楽より先にあった――「言葉を伝えたい」という原点
父親と古本屋、そして自分だけが好きだった言葉
2021年10月29日、TOKYO FM『サカナLOCKS!』で、山口は10代に読んでもらいたい本を10冊紹介した。その冒頭で語ったのは、父親に古本屋へ連れていかれ、まとめて買った本を読み、感想を求められた少年時代のことだった。
読書は、最初から自由で楽しい趣味だったというより、生活の中で身についた習慣だったらしい。ところが、その経験から言葉そのものに惹かれるようになる。
石原吉郎の詩「竹の槍」を、今も言葉と向き合う際の中心の一つとして挙げているのが印象深い。石原吉郎は、シベリア抑留の経験を持つ詩人だ。山口はその言葉の鋭さに惹かれた一方、周りの友人たちは詩よりも歌のフレーズを覚えていた、と振り返っている。
美しいと思う言葉が、自分以外にはなかなか届かない。それなのに歌なら覚えてもらえる。この発見が、音楽へ進むきっかけになったという。2011年のインタビューでも、電子音楽から影響を受けたと問われた山口は、まず自分の心にあるのは文学だと答えていた。
ここに、サカナクションの大切な逆説がある。音楽を作りたかったから言葉を書き始めたのではなく、言葉を届ける方法として音楽に近づいたという順序だ。
- 本人の発言:TOKYO FM『サカナLOCKS!』2021年10月29日
- 原点を語るインタビュー:芸団協CPRA「ミュージックシーンに新感覚を送る」
友部正人――大人が、本気で誰かに歌いかける姿
彼の音楽の原点として、もう一人欠かせないのが友部正人だ。山口は、喫茶店で目にした友部の歌に心を動かされた経験を話している。幼い彼にとって、大人が目の前の大人を感動させようと歌う姿は、照れくさくもあり、憧れでもあったという。

サカナクションの電子音やダンスビートから入った人には、少し意外かもしれない。しかし本人は2011年、「僕の始まりはフォークソング」と説明している。
この言葉を知ってから曲を聴くと、デジタルな音の奥にも、誰かへ言葉を渡そうとする人間の輪郭を探したくなる。これは音楽ジャンルの分類より、もっと根にある話だと思う。
- 本人の発言:フジテレビ「人と音楽」取材記事
石原吉郎『石原吉郎詩文集』、谷川俊太郎『二十億光年の孤独』、友部正人の作品。まずは「誰が歌っているか」より、「言葉がどんなふうに届くか」を意識して触れてみたい。
02苦しい時期に必要だったのは、正解ではなく別の見方だった
『アルケミスト』――音楽をやめようと考えたときの一冊
パウロ・コエーリョの小説『アルケミスト 夢を旅した少年』は、山口が繰り返し薦めてきた本だ。
理由は明確だ。音楽を続けることが苦しく、やめようかと考えていた時期に、ある人からこの本を渡されたという。2021年のラジオでは、当時の嫌な出来事や壁を、遠い未来から見たときに違う意味で捉え直せるようになった、と話している。

『アルケミスト』は、自分の夢を追って旅に出る羊飼いの少年を描いた物語。山口の発言で重要なのは、物語の教訓を誰にでも当てはめようとしたことではない。そのときの彼自身に、新しい見方が必要だったという点だろう。
苦しい経験が、必ず将来の利益になるわけではない。人に「その苦しみにも意味がある」と言われたら、つらくなることだってある。ただ山口にとっては、その本の考え方が、当時の自分を支える手がかりになった。そこを取り違えずに受け取りたい。
山口が音楽を続けることに悩んでいた時期に出会った一冊。本人による紹介と当時のエピソードを読むこともできる。
岡本太郎――「壁」「創作」「愛」を、考え続けること
同じ放送で彼は、岡本太郎の『強く生きる言葉』『壁を破る言葉』『愛する言葉』を、3冊まとめて薦めている。
ものを作るとはどういうことか。自分にとっての壁とは何か。愛とは何か。山口は、そうした問いについて強い影響を受けたという。

ここで『アルケミスト』と岡本太郎の本を並べると、対照的な役割が見えてくる。前者が、立ち止まったときに見方を変える本だったとすれば、後者は、簡単に答えの出ない問いを持ち続けるための本だったのかもしれない。
これは本人による明確な二分類ではなく、紹介の仕方から読み取れる編集上の解釈だ。ただ、どちらも「自分を理解する」という行為に通じている。
- 本人の発言:TOKYO FM『サカナLOCKS!』
03フォーク少年の音楽を変えた、海外のロックと電子音楽
「サカナクションが好きだけど、洋楽はほとんど聴かない」という人には、まずOasisの「Wonderwall」から。次に電子音楽へ進むと、彼の音楽の振れ幅が見えてくる。
Oasis「Wonderwall」――フォーク少年に、ロックを教えた一曲
2016年、Spincoasterの「Rootscoaster」で山口は、自分の原点となった3曲を選んだ。その最初が、英国のバンドOasisの「Wonderwall」だった。
彼は小学生の頃、フォークソングを繰り返し聴いていたという。しかし「Wonderwall」に出会った衝撃で、それまで書いてきた曲の方向性が大きく変わったと語っている。
このエピソードの魅力は、「Oasisが好き」という話を超えていることだ。すでに自分の好みを持っていた若者が、知らなかった音楽に出会い、自分が作りたいものの輪郭を描き直す。そんな瞬間の記録だからだ。

「Wonderwall」は、アコースティックギターの繰り返しが耳に残る曲。電子音の印象が強いサカナクションから遡って聴くと、むしろ言葉とメロディーをまっすぐ届ける部分に共通点を探したくなる。
Rei Harakami「終わりの季節」――少数派の音楽を、どう広く届けるか
次に選んだのは、Rei Harakami「終わりの季節」。

山口は、エレクトロニカやテクノなど、クラブカルチャーの少数派的な要素を自分たちの音に混ぜ、どう大衆に届く形へ変えるか悩んでいた頃、この曲に出会ったと語っている。
ここでは、Oasisとは違う悩みが見える。「何を作りたいか」だけでなく、自分の好きなものを、どうしたら多くの人に手渡せるかという問題だ。
実験性が強い音楽と、大勢の人が楽しめるポップス。その両方を求める姿勢は、サカナクションを聴くうえで重要な補助線になる。ただし「この曲がサカナクションの特定の楽曲の元ネタになった」と断定できる資料はない。影響の中身は、本人の発言が示す範囲にとどめたい。
坂本龍一「WAR & PEACE(AOKI takamasa Remix)」――新しさと、伝わりやすさの間
同じ企画の3曲目は、坂本龍一「WAR & PEACE」のAOKI takamasaによるリミックスだった。
山口はこの曲について、難解になりがちな芸術性と、長く残る新しさのバランスを高く評価している。新しい音を作ることと、それを人が受け取れる形にすること。そのあいだにある難しさを、彼は繰り返し考えてきたのだろう。
Oasisが「自分の曲を変えた音楽」、Rei Harakamiが「届け方を考えた音楽」だとすれば、坂本龍一のこのリミックスは「どんな新しさを目指すか」という問いに近い。これも3つの本人コメントを読み合わせた編集上の整理だ。
ジミ・ヘンドリックスとフェラ・クティ――好きなのは、常識を壊す人
もう一つ、洋楽への入口として紹介したいのが、ジミ・ヘンドリックスとフェラ・クティだ。
2022年のGOETHEのインタビューで、山口はこの二人を、音楽の常識を壊し、新しい価値観を示したアーティストとして挙げている。
ここから特定の楽曲への直接的な影響を決めつけることはできない。ただ、彼が惹かれたのは、あるサウンドの形だけではなく、それまでのルールを疑う姿勢でもあったということは、本人の言葉から読み取れる。
英国のロック、電子音楽、アフロビート。音楽ジャンルは違っても、既成の枠を越えようとする表現に目を向けてきたことがわかる。
Oasis「Wonderwall」 → Rei Harakami「終わりの季節」 → 坂本龍一「WAR & PEACE(AOKI takamasa Remix)」。これは山口本人が2016年に選んだ3曲。まずは本人の解説を読んでから聴くと、音の聴こえ方が少し変わるかもしれない。
04映画から受け取ったのは、物語だけではなかった
『回路』――黒沢清の映画を追いかけるきっかけ
2015年、映画『バクマン。』の音楽を担当した際のインタビューで、山口は好きな映画監督として黒沢清を挙げている。きっかけは映画『回路』。それ以降、黒沢監督の作品を見てきたと語った。
『回路』は、通信技術が日常へ浸透していく不穏さと、人間同士の距離を描くホラー映画だ。人の不安や孤独を直接説明しすぎないところにも独特の力がある。

ただし、山口が映画の「孤独」という主題に特に共感したと明言したわけではない。ここでは、あえて答えを明示しない作品にも惹かれていたという、鑑賞歴からの控えめな読み取りにとどめたい。
『オー・ブラザー!』――音楽が人の運命を動かす物語
同じインタビューで、コーエン兄弟の『オー・ブラザー!』も挙げている。
こちらは、山口が好きな理由まで話している。音楽が未来を切り開く物語であること、出演者の歌声が魅力的なこと、そしてサウンドトラックを今も聴いているということだった(2015年当時)。
フォークに始まり、言葉を音楽にのせようとした人が、映画の中でも音楽が人を動かす瞬間に惹かれる。作品名だけを並べるより、このつながりのほうがずっと面白い。
『回路』は説明しきれない不穏さに触れる入口。『オー・ブラザー!』は音楽と物語が結びつく楽しさへの入口。2本の共通点を無理に作らず、その違いも楽しみたい。
05美術は、実物を見ることで初めてわかるものがある
神田日勝――絵の前に立つと、写真では届かない衝動がある
2015年の『美術手帖』のインタビューで、山口は北海道の画家神田日勝に触れている。
作品を写真で見ることと、実際に作品の前に立つことは大きく違う。板の上に描かれた絵から、作家の衝動まで伝わってくる。山口はそんな体験を語り、音楽以外の表現から受けた感動も、自分たちの音楽の源にあると説明していた。

これは重要な話だ。好きな作品の画像をスマートフォンで眺めることと、同じ場所で作品の大きさや質感を受け取ることは違う。情報を知ることと、作品を体験することは、必ずしも同じではない。
イサム・ノグチ――「体験する彫刻」という考え方
彫刻家イサム・ノグチへの関心も深い。山口はノグチの照明作品「あかり(AKARI)」を持ち、2021年の展覧会『イサム・ノグチ 発見の道』に関連する企画にも参加した。ノグチの魅力を説明する際に強調していたのが、「体験」という言葉だった。
彫刻は、正面から一枚の写真で眺めれば終わりではない。光の広がり方、部屋の中での大きさ、近くを歩いたときの感覚。実際にその場にいることによって、作品への理解が変わる。

山口が「音楽以外の感動も音楽の源になる」と語ったこと、そしてノグチ作品の体験性を重視したこと。この二つは、少なくとも彼にとって、表現をジャンルで分けすぎない姿勢があることを示している。
06服を選ぶことも、自分の感覚を更新すること
コム デ ギャルソンと川久保玲――定番を守るより、新しい挑戦を
ファッションの話になると、山口は服の名前だけでなく、作り手の姿勢にも言及する。
2026年の『OCEANS』のインタビューでは、COMME des GARÇONSが好きで、デザイナーの川久保玲の考え方に間接的な影響を受けていると語った。なじんだ定番だけにとどまらず、新しいことに挑戦する。その姿勢を、音楽にも通じるものとして捉えていた。
同じ取材では、sacaiやCOMOLIの店にも立ち寄ることを話している。ただし、この二つのブランドからも創作上の影響を受けたと断定することはできない。本人が好きな店として名前を挙げたことと、影響を明言したことは区別したい。

山口は自分の好きなもの・似合うものを選ぶと、定番から抜け出しにくいとも話す。そこで一つルールを設け、変化をつけるようにしているという。服装は毎日、自分の好みを確かめ、少しだけ更新する練習にもなるのかもしれない。
07受け取ったものを、今度は自分の言葉と場所に変えていく
『ことば』『ことば2』――デビュー前の「自分のためのノート」
山口自身の書籍『ことば 僕自身の訓練のためのノート』は、2001年から2006年のデビュー前に書き続けた短い言葉250篇を収めた本だ。続編の『ことば2』にも250篇が収録されている。
これらは、後から「人気ミュージシャンの名言集」として作られた言葉ではない。そもそも出発点が、自分自身のための訓練だったことに意味がある。
見聞きしてきた他人の作品を、自分の中で噛み砕き、自分の言葉として書く。その積み重ねが、サカナクションの歌詞以前に存在していた。

さらに『ことば2』の特設サイトでは、装丁を手がけた葛西薫らの仕事も詳しく紹介されている。文字組み、活版印刷、紙や布。言葉を「読む」だけでなく、「手に取る」体験へ変える工程だ。

ここまで読んできた、文学・音楽・美術・ファッションという異なる文化が、いよいよ一冊の本の中で重なってくる。彼は影響を受けた作品を並べてきた人であると同時に、自分の表現をどう届ければよいかを考えてきた人でもある。
NF――ひとつの音楽から、別のカルチャーへ
その考え方は、自分の作品だけにとどまらない。サカナクションの複合イベントNFについて、山口は2015年の『美術手帖』で、ミュージシャン以外にも写真家、スタイリスト、映像作家などが音楽を支えていること、その人たちの仕事も伝えたいと語っている。
別の取材では、音楽をきっかけにイベントへ来た人が写真家の表現と出会い、自分でもカメラを始める、そんな広がりを望んでいるという趣旨の話もしていた。
山口自身がさまざまな作品から受け取ってきたように、今度は彼の音楽が、誰かを別の作品へ連れていく。その往復こそ、山口一郎のカルチャー観を考えるうえで外せない部分だと思う。
ENDまとめ|山口一郎を形づくったのは、ひとつのジャンルではない
今回取り上げた名前をもう一度並べると、文学には石原吉郎や谷川俊太郎、岡本太郎、パウロ・コエーリョがいる。音楽には友部正人、Oasis、Rei Harakami、坂本龍一、ジミ・ヘンドリックス、フェラ・クティがいる。映画には黒沢清とコーエン兄弟。美術には神田日勝とイサム・ノグチ。ファッションには川久保玲がいる。
それぞれが、同じ意味で彼に影響したわけではない。本当に苦しい時期に支えになった本もあれば、曲作りの方向を変えた音楽もあり、鑑賞を楽しんできた映画や、作り手の挑戦に共感する服もある。
その違いを消さずに見ることが大切だと思う。
ただ、それらを横断して見えてくるものもある。自分の中にある言葉にできない感覚を理解したい。誰かに伝わる方法を探したい。新しいものに触れて、自分の好みや考え方を更新したい。
山口一郎という人は、そんな問いを持ちながら、作品を読み、聴き、見てきたのかもしれない。
彼が薦めた本を読んでも、同じ人生にはならない。Oasisを聴いても、サカナクションと同じ曲は作れない。それでも、他人が大切にした作品に触れることで、今まで気づかなかった自分の好みや感情を見つけることはある。
誰かを理解しようとすることが、自分を理解するきっかけになる。 この記事が、その小さな入口になればうれしい。
山口一郎の歩みについて、もう少し知りたい人へ
この記事では、本人が触れてきた本・音楽・映画・美術・ファッションを中心に紹介した。山口一郎が公表したうつ病と活動休止、その後の歩みについては、別の記事で本人の発言をもとに時系列で整理している。
山口一郎さんはなぜうつ病になった?発症の経緯と活動休止、現在までを本人の言葉でたどる
※本記事は本人が公に語った経験や作品の受け取り方を整理したもので、健康状態と個別作品の間に因果関係があると推測するものではない。



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