PR

Fukaseは何に影響を受けたのか?映画・漫画・現代美術・ヒップホップから読み解く『ブルーノ』と『Circusm』

人の言葉と生き方

SEKAI NO OWARIのFukaseには、少し不思議なところがある。

彼は、病院での入院経験や行き場のない気持ちを隠さずに語ってきた。一方、ステージには遊園地のような世界が広がる。歌詞には魔法や森や冒険が登場するのに、その奥には、決して明るいだけではない感情がある。さらに2021年には色鮮やかな絵本『ブルーノ』を出版し、2025年にはラッパーとしてのソロ活動で、皮肉や攻撃性を含む表現を始めた。

一見すると、ファンタジー、絵本、ヒップホップはずいぶん離れたジャンルに思える。だが、それらを作る以前に何を見て、聴き、読んできたのかをたどると、一人の表現者の輪郭が変わって見える。『魔法にかけられて』『20世紀少年』、マグリット、OZROSAURUS、Eminem、そして彼に絵や言葉を教えた人々。作品と出会った経験が、どこでFukase自身の表現に変わったのかを探りたい。

今回はSEKAI NO OWARI全体の音楽的ルーツではなく、Fukase個人に絞る。具体的な影響源を出発点に、ファンタジーの作り方、絵本『ブルーノ』の発想と画風、そしてソロ『Circusm』の言葉やビジュアルへと追いかける。単に似ている作品を並べるのではなく、本人の証言がある関係と、僕らが読み取った共通性とを分けて考える。

なお、過去の入院経験やバンド結成までの歩みは第一層の記事「Fukaseはなぜ『世界の終わり』から始めたのか」で整理している。ここでは病歴から性格や創作の原因を推測するのではなく、作品と本人の発言から表現の方法を見ていく。

  1. 出発点は「何を作ったか」ではなく、「何に動かされてきたか」
    1. 歌詞を作る前に、国語の先生から受け取った言葉
    2. 他人の作品をまねるより、日常から新しい物語を作る
  2. Fukaseは、なぜ暗い現実を明るいメロディーで歌ったのか
  3. 映画と漫画のルーツ――『魔法にかけられて』と『20世紀少年』
    1. 最初に映画を思い描き、それを歌詞へ変える
    2. 『20世紀少年』『DEATH NOTE』『NARUTO』で語った、正義と悪の曖昧さ
    3. 『明日の記憶』――映像よりも、観た後に残る人間の感情
  4. 美術からライブへ――ルネ・マグリットが生んだ『The Dinner』
  5. 『炎と森のカーニバル』は、ファンタジーの形をした実話だった
  6. 「光から闇へ変わった」のではなく、もともと両方を持っていた
  7. 音楽的ルーツを固有名詞でたどる――OZROSAURUS、Eminem、90年代パンク
    1. OZROSAURUS――横浜という街まで好きにさせた日本語ラップ
    2. Eminem――声や韻だけでなく、服装にも入り込んだ憧れ
    3. パンクロック、スケートボード、古着――もう一つの青春
  8. なぜヒップホップを好きだったのに、最初はポップバンドを選んだのか
  9. 『ブルーノ』の原型は、2017年のライブ『Tarkus』だった
  10. 絵本『ブルーノ』は、なぜ二つの方向から読むのか
    1. 王様をヘビにしたのは、冷酷に見せるためではなかった
  11. 絵の師匠から受け取った「最初から自分の絵を描けばいい」
  12. 柔らかな絵の奥に、わざと小さな刺を隠す
  13. 映画『キャラクター』では、なぜ殺人鬼を演じたのか
  14. Tyler, the Creatorに見る「尖っているのに品がある」美意識
    1. 韓国のビジュアルディレクターRoh Jaehoonとの出会い
  15. 2025年、なぜSEKAI NO OWARIではなくソロでラップを始めたのか
    1. 『Circusm』は、暗さをむき出しにしただけの作品ではない
  16. ラップを始めて、バンドの歌詞の書き方まで変わった
  17. 影響を受けたものは、どこで自分の作品になったのか
  18. 『ブルーノ』と『Circusm』を並べると見えてくること
  19. Fukaseの作品がファンタジーに見える理由
  20. 参考・出典

出発点は「何を作ったか」ではなく、「何に動かされてきたか」

Fukaseの過去と活動歴を年表に並べるだけでは、彼がなぜ絵本もラップも、あの独特なファンタジーも作るのかは分からない。手がかりになるのは、彼が自分で名前を挙げた映画・漫画・美術・音楽と、制作の仕方を変えた人々だ。

ここで区別したいことがある。本人が「影響を受けた」と語ったもの、単に「好きだ」と話したもの、編集部が作品間の共通性を見いだしたものは、同じではない。以下では直接の影響が確認できたものと、好きな作品から推測できる関心を分けて見ていく。

歌詞を作る前に、国語の先生から受け取った言葉

Fukaseは2021年のFashion Pressの取材で、子どもの頃から絵や工作が得意だったわけではないと振り返っている。一方、作文は好きで、物語の始まりや文章の流れを思いつくのが早かったという。

進路が定まらなかった頃、たまたま提出した俳句が学校のコンテストで2位に入ったことがあった。退学する際、国語の先生は彼に、文章を書く力があることを忘れないでほしいと伝えた。Fukaseはその出来事を今も覚えていて、歌詞を書くことのルーツの一つだったのではないかと語っている。

これが面白いのは、才能を称賛された美談としてだけではない。本人は、最初から音楽や絵画を目指して順調に進んだ人物ではなかった。それでも、誰かが見つけた自分の得意なことが、後に表現の入り口になった。絵本の作者でも、ラッパーでもあるFukaseの中心に、まず「物語と言葉を作る人」がいることを示すエピソードだ。

本人インタビュー:Fashion Press(2021年)・作文、俳句、国語教師とのエピソード

他人の作品をまねるより、日常から新しい物語を作る

同じ取材で、創作のインスピレーションを尋ねられたFukaseは、すでに作られた作品を大量に吸収すること以上に、日常の生々しい出来事が刺激になると話している。小学生の何気ない表情、忙しさからぎすぎすしたメンバー同士の空気、人が実際に口にした言葉。そうしたものを目の前で見ることが、曲や物語の出発点になる。

その一方で、音楽、映画、現代美術から明確に着想を得た経験もある。だから「影響を受けた作品の一覧」と「自分の目で見た現実」は対立しない。Fukaseの場合、外の作品に刺激されても、最後に物語へ変える材料は自分の生活の中にあることが多いようだ。

2021年のReal Soundで紹介された番組でも、海を見に行くことや、知らない土地で人と出会うことからインプットし、曲を書いてきたと語っている。新型コロナ禍でそうした経験が減った時期には、制作に必要な感情が枯れてしまうように感じたという。外へ出て誰かと出会うこと自体が、彼にとってはカルチャーを受け取る行為なのかもしれない。

本人発言:Fashion Press(2021年)・日常から受ける刺激/Real Sound(2021年)・インプットと制作の関係

Fukaseは、なぜ暗い現実を明るいメロディーで歌ったのか

まず時計を2010年まで戻したい。『EARTH』発表時のTOWER RECORDS ONLINEのインタビューで、Fukaseは、自身の苦しい体験を当時の暗い気持ちのまま音に乗せることへの抵抗を説明している。

その過去を、ただ「なかったほうがよかった時間」として固定したくなかったのだ。だからこそ、重い感情を明るいメロディーやポップな響きの中に置いた。この時点ですでに、現実をそのまま再現せず、形を変えて届けるという方法が見えている。

ここを「苦しかったから夢の世界へ逃げた」とまとめるのは簡単だが、少し違うと思う。逃避であれば、現実を作品から消してもいい。Fukaseがしているのはむしろ逆で、消したくない現実を、聴き手が受け取れる別の姿に変えている。

たとえば「虹色の戦争」では、平和を望みながら、目の前の小さな生き物には無頓着になってしまう人間への違和感が、印象的な言葉とメロディーの中に置かれていた。かわいらしい風景と刺のある問いは、初期から同居していた。

2025年のGQ JAPANの取材でも本人は、SEKAI NO OWARIでは個人的な経験や社会への思いを、大勢が受け取りやすいポップスへ変えることを目指してきたと説明している。初期の発言と15年後の説明が、驚くほどつながる。

出典:TOWER RECORDS ONLINE(2010年)・『EARTH』インタビュー/GQ JAPAN(2025年)・ソロ活動インタビュー

映画と漫画のルーツ――『魔法にかけられて』と『20世紀少年』

最初に映画を思い描き、それを歌詞へ変える

Fukaseは2010年のCINRAで、映画が音楽以外の大きな影響源だと答えている。自分の曲を作るとき、まず一つの映画を撮れるほどのストーリーを考え、その後に歌詞へ変えることがあるという。「幻の命」では特にそのような発想をしていたと語った。

さらに当時制作中だった楽曲については、まずミュージックビデオの映像が思い浮かび、最後の二行の歌詞が決まってから全体を考えていたとも話している。歌詞を書いて映像を後付けするだけでなく、映像を先に想像し、音楽と言葉を組み立てる。 これはファンタジーを歌う理由を考える上で、好きな映画の題名以上に重要な制作手法だ。

彼が映画を好きだというのは、映画的な世界を曲の中に作るという意味でもあった。出典:CINRA(2010年)・物語から歌詞へ作る発想

幻想的な世界を作るFukaseは、どんな物語を観てきたのだろう。2010年のCINRAで、彼は好きな映画監督を問われ、監督名を挙げるというより、ラブストーリーなども普通に楽しんで観るタイプだと答えている。そのころ特に繰り返し観ていたのが、ディズニーの『魔法にかけられて』(2007年)だった。

この作品は、アニメのプリンセスが現実世界のニューヨークへ現れるファンタジー。おとぎ話の約束事と、現実社会の人間関係が衝突するところに面白さがある。Fukaseは妹と一緒に観ていて、時には一日に何度も観るほど気に入っていたという。

なぜその作品を好きだったのか、インタビューでは細かな理由まで説明していない。だから特定のライブ演出の元ネタと断言することはできない。ただ、魔法と現実が同じ画面に存在する映画を繰り返し楽しんでいたという事実は、セカオワの世界観を考えるうえで興味深い。

『20世紀少年』『DEATH NOTE』『NARUTO』で語った、正義と悪の曖昧さ

同じ2010年のCINRA取材でFukaseは、浦沢直樹の『20世紀少年』を何度も読んだと語っている。そして『DEATH NOTE』のLとライトや『NARUTO』にも触れながら、絶対的な正義と悪が簡単には分けられない物語が増えている、と考察していた。

これらの作品が直接『ブルーノ』の着想源だったと本人は言っていない。けれど、正しいと思っていることが立場によって変わるという問題への関心は、遅くとも2010年には本人が言葉にしていた。

その後、2017年の『Tarkus』で二つの立場の物語を作り、2021年の『ブルーノ』では双方から読める本として完成させた。この流れは「漫画のまねをした」という話ではなく、長く持ち続けてきた問いが媒体を変えて現れたものとして読むことができる。

『明日の記憶』――映像よりも、観た後に残る人間の感情

2021年のBANGER!!!では、渡辺謙主演の映画『明日の記憶』を、自分を形成した映画の一つだと明確に挙げた。若年性アルツハイマー病を発症した男性と家族を描くこの作品について、Fukaseは観終えた後に残った感情や俳優の表情が強く記憶に残っていると語っている。

その発言から見えるのは、映画を壮大なビジュアルだけでなく、人間の表情と、鑑賞後も続く感情で受け取っていることだ。『ブルーノ』で登場人物の姿を動物へ変えても、物語の中心が他者とのすれ違いなのは、こうした人間の感情への関心と無関係ではないのかもしれない。

ただし『明日の記憶』が絵本や特定の楽曲を直接生んだという証拠はない。本人が「自分を形成した」と語った映画として、創作観の背景に位置づけたい。

本人インタビュー:CINRA(2010年)・映画、漫画、正義と悪について/BANGER!!!(2021年)・『明日の記憶』への思い

美術からライブへ――ルネ・マグリットが生んだ『The Dinner』

もう一つ、作品から作品への影響を本人がはっきり証言している例がある。2016年のアリーナツアー『The Dinner』だ。

2019年のEYESCREAMでFukaseは、Saoriと一緒にベルギーの画家ルネ・マグリットの作品を実際に見たときに、『The Dinner』の構想をひらめいたと語った。

マグリットは、身近なものを現実にはあり得ない関係で並べ、不思議な違和感を生み出すシュルレアリスムの画家。Fukaseは美術館で見た一枚の絵から、「観客を食べるためにライブを開く人々」という異様な物語を発想したという。

現実では決して起こらない状況に、妙に理路整然とした動機を与える。絵の中の違和感を、ライブ会場全体で体験する物語へ拡張するという創作が起きていた。彼のファンタジーは、既存の物語の世界観をコピーするだけではなく、一枚の美術作品から別の物語を発明することもあるのだ。

本人のインタビューでは着想に使ったマグリット作品の具体的な題名までは示されていないため、特定の絵を元ネタと断定しない。また『The Dinner』はバンドのライブであり、舞台全体のすべてをFukase一人が制作したという意味でもない。本人が物語の着想を得たという範囲で述べたい。

なおFukaseは、美術館のほかにInstagramなどで気になる現代アートを見つけることもあるという。ファンタジーを作る視覚的な情報源として、音楽以外の芸術を積極的に見ていたことが分かる。

本人・Saoriインタビュー:EYESCREAM(2019年)・マグリットから『The Dinner』への着想

『炎と森のカーニバル』は、ファンタジーの形をした実話だった

その方法が特にはっきり見えるのが、2014年の「炎と森のカーニバル」だ。

魔法使いが出てくる奇妙なカーニバル。メロディーもビジュアルも幻想的で、何かの物語の世界へ迷い込んだように感じる。でもFukaseは当時のFanplus Musicの取材で、この曲は実際にあった出来事に基づいていて、登場人物にもモデルがいると話している。

印象的なのは、現実の出来事をわざとファンタジーに見えにくくしていることだ。本人は、曲の中に現実が入っていることに自信を持っていた。一方、メンバーのSaoriは、実体験を物語に織り込む点をヒップホップ的だと受け取っていた。

これを知ると「ファンタジー対リアル」という二者択一が崩れる。Fukaseにとってファンタジーは、現実と反対側にあるものではなく、現実を語るための文法なのかもしれない。

誰がモデルかを無理に特定する必要はないし、私生活の答え合わせをする記事にしたいわけでもない。重要なのは、事実を丸ごと告白することと、事実から生まれた感情を作品へ変えることは別だという点だ。

出典:Fanplus Music(2014年)・「炎と森のカーニバル」制作インタビュー

「光から闇へ変わった」のではなく、もともと両方を持っていた

近年の作品に暗い印象を受けると、昔は明るく、後からダークになったように感じるかもしれない。でも時系列を追うと、それは少し単純化しすぎだ。

初期の「幻の命」や「虹色の戦争」にも重い問いはあった。逆に、ファンタジーの印象が強い「RPG」も、メンバーとの衝突や関係の揺らぎを背景に生まれている。見かけの明るさと、制作の出発点は一致しない。

2019年には『EYE』『LIP』という2枚のアルバムを同時に発表した。光と闇を連続した時間の変化ではなく、並び立つ側面として考えるヒントになる作品だ。両作の制作についてFukaseは、エンターテイナーとしてだけでなく、自分がどんな歌い手でありたいかを改めて考えた時期だと語っている。

この頃の「LOVE SONG」も興味深い。本人によれば、最初は「Kids」という題名で、子どもたちを対等な目線から描こうとした曲だった。当初、自分では説教くさくなったと感じて歌詞を直そうとしたが、メンバーはそこに愛情を見いだし、最初の歌詞が残ったという。

同じ言葉でも、書き手が意図する鋭さと、別の誰かが受け取る愛情は違うことがある。そのズレは、後に絵本『ブルーノ』で描く「二つの視点」を思い出させる。

もちろん『EYE』『LIP』はバンドで作られたアルバムであり、すべての楽曲の考えをFukase一人に帰属させるべきではない。ここでは本人が作詞について説明した部分と、ボーカリストとしての発言に限定している。

出典:『EYE』『LIP』取材・Fukase本人の発言(2019年)

音楽的ルーツを固有名詞でたどる――OZROSAURUS、Eminem、90年代パンク

Fukaseがラップへの憧れを持っていたことは、単なる回想ではない。2025年のHypebeastの取材で「刺激を受けたアーティスト」を質問され、本人はOZROSAURUSとEminemを具体的に挙げ、10代から聴き続けてきた音楽だと答えている。

OZROSAURUS――横浜という街まで好きにさせた日本語ラップ

特にOZROSAURUSへの熱中は、音楽を聴くだけでは終わっていなかった。2021年のシネマトゥデイで彼は、日本語ラップが思春期の自分のもやもやした感情を鋭い言葉で切り裂き、ときには寄り添ってくれたと説明している。

その音楽を好きになるあまり、グループの地元である横浜そのものに憧れ、よこはまコスモワールドの観覧車でアルバイトをしたという。自分の歌詞に横浜の地名がたびたび現れるのは、その影響なのだとも話した。

ここは、直接的な創作への影響が確認できる貴重な例だ。アーティストを好きになり、その人が生きている街に出かけ、そこで見た景色が自分の歌詞に入る。音楽から地理的な憧れへ、そして自分の言葉へというつながりが実際にあった。

Eminem――声や韻だけでなく、服装にも入り込んだ憧れ

Eminemは音楽的な憧れであると同時に、十代のFukaseの服装にも影響を与えた。2025年の『10 Magazine Japan』で、Eminemが着ていたベロア素材のジャージを買いに行ったことや、当時買えなかったTimberlandの代わりにK・SWISSのスニーカーを履いていたことを振り返っている。

2025年のHypebeastでも、EminemとOZROSAURUSを自分の背骨になっている存在として挙げている。つまりラップの影響は、2025年に楽曲の形として現れるずっと前から、街の選び方、服の選び方、言葉のリズムにまで及んでいた。

ただし、Eminemのどの曲のどのフローを模倣している、といった細部までは本人が説明していない。そこを聴感だけで断言するのは避けたい。

パンクロック、スケートボード、古着――もう一つの青春

ラップ以外にも、2025年のGQ JAPANでFukaseは、90年代から2000年代のパンクロックを毎日のように探し、古いCDを求めて中古店へ通っていた記憶を語っている。スケートボード、VANSの履き込まれたスニーカー、父親が海外で買ってきた靴なども、現在のビジュアルづくりで自分のルーツを掘り起こしたときに思い返したものだという。

名前が挙がっていないパンクバンドを、こちらから「影響源」として並べる必要はない。むしろ彼が文化を音楽だけでなく、ファッションや身体の感覚を含む一つの生活として経験していたことを見たい。

本人インタビュー:Hypebeast(2025年)・OZROSAURUSとEminem/シネマトゥデイ(2021年)・横浜への憧れ/10 Magazine Japan(2025年)・Eminemとファッション/GQ JAPAN(2025年)・パンク、スケート、古着の記憶

なぜヒップホップを好きだったのに、最初はポップバンドを選んだのか

これほど影響を受けていたのに、Fukaseはなぜ最初からラッパーとして活動しなかったのだろう。そこには、実際に音楽を仕事として続けるための選択があった。

本人は2019年にHIGHSNOBIETY JAPANでも、ヒップホップとバンドのどちらへ進むか真剣に迷ったと話していた。2025年のGQ JAPANで語ったのは、Nakajinの助言と、借金をしながら自分たちの場所を作っていた当時の現実だ。好きな音楽を選ぶだけではなく、続けられる仕事としての音楽を考え、ポップスを選んだという。

心に引っかかっていたものを、強い言葉で切り裂いてくれる。それと同時に、傷ついた気持ちへ寄り添ってもくれる。本人が語った日本語ラップの魅力は、単に反抗的でかっこいいという話ではなかった。

2025年のHypebeastとの取材では、バンドを始める前にJ-POPとヒップホップのどちらへ進むか迷っていたことも改めて説明している。SEKAI NO OWARIでは、Nakajinの提案や家族まで届く音楽を作りたいという思いから、ポップスを選んだ。

この経緯を知ると、ソロのラップは「人気バンドのボーカルが急にキャラ変した」という話ではなくなる。昔から内側にあった表現方法が、別の居場所を見つけたと考えた方が自然だ。

出典:シネマトゥデイ(2021年)・OZROSAURUSとヒップホップへの憧れ/Hypebeast(2025年)・ソロの原点

『ブルーノ』の原型は、2017年のライブ『Tarkus』だった

「なぜ急に絵本を書いたのか」という疑問には、はっきりした答えがある。『ブルーノ』のストーリーは、2021年に突然生まれたものではない。2017年のドーム・スタジアムツアー『Tarkus』のために構想した物語が出発点だった。

Fukaseは2022年の好書好日で、ライブで演奏する曲とつながるように物語を作ったと明かしている。ツアー中にはすでに絵本化したいと話していたが、絵が思うように描けず、何年も手をつけられずにいた。コロナ禍で時間が生まれたことが、あらためて描くきっかけになったという。

ただし、舞台の物語を絵本へそのまま移したわけではない。読者にとってより普遍的になるよう、人間以外の生物を登場人物にし、結末も変更した。音楽付きのライブという形式から、読者が自分の手で二つの立場を読む本へ。 同じテーマでも、表現する媒体によって物語の構造を作り直しているのが興味深い。

ここでの直接の影響源は、特定の絵本作家ではなく、Fukase自身が先に作ったライブ作品だった。『ブルーノ』に関して、本人が「この絵本作家の絵を参考にした」と名指しした確かな発言は、今回参照したインタビューからは確認できない。だから、有名な絵本作家の名前を後付けで並べない。

本人インタビュー:好書好日(2022年)・『Tarkus』から『ブルーノ』への制作の経緯

絵本『ブルーノ』は、なぜ二つの方向から読むのか

ここで、2021年の絵本『ブルーノ』へ目を移したい。カラフルで柔らかなタッチの、不思議な生き物たちの絵本だ。ただし物語の中心にあるのは、安らぎというより、人と人がなぜ分かり合えなくなるのかという問いだった。

Fukaseの絵本『ブルーノ』の表紙。原色の油彩で描かれた不思議な生物
Fukase著『ブルーノ』(福音館書店、2021年)。カラフルな生き物の造形を含む表紙を、作品の表現分析のため引用。画像・書誌情報の出典:福音館書店公式ページ。

平和だった国を大きな嵐が襲う。娘がけがをした村人タルカスは、王様が助けに来るのを待つ。一方の王様にも、国民をどう救うかという切実な事情がある。

本は両側に表紙があり、タルカス側からも、王様側からも物語を読み始められる。二つの話は中央へ進み、そこでつながる。この物理的な構造自体が作品の主題になっている。

同じ嵐を経験していても、互いが見ている状況は同じではない。タルカスにとっては、助けが来ないことが目の前の事実になる。王様にとっては、別の困難に対処していることも事実になる。誰かが単純に嘘をついているとは限らない。それでもすれ違いは生まれる。

Fukaseは好書好日のインタビューで、政治的な寓話にしたかったわけではなく、立場によって異なる二つの視点を描きたかったと説明している。だから「王様は悪者、村人は正しい」という単純な構図にもしなかった。

王様をヘビにしたのは、冷酷に見せるためではなかった

登場人物の造形にも、その考えが反映されている。

タルカスは、尻尾や毛並みで感情を表現できるキツネザル。王様は、表情を読み取りにくいヘビだ。王様の兵士をどう描くかについても、冷たく見えすぎる表現は避けたという。

つまり彼は、読者に「悪者らしい造形」を与えて誘導するより、同じ相手が、別の立場からどう見えるのかを確かめさせようとしている。これは意外と複雑な設計だ。

重要なのは「相手にも事情があるから、すべて許そう」という単純な道徳ではない。事情を知らなければ、誠実な判断そのものが難しくなる。その不安定さを、子どもも読める形にしているところが、この絵本の強さだと思う。

出典:福音館書店『ブルーノ』公式紹介/好書好日・Fukase『ブルーノ』ロングインタビュー(2022年)

絵の師匠から受け取った「最初から自分の絵を描けばいい」

『ブルーノ』の絵の描き方には、Fukaseが影響を受けた人物の具体的な言葉が残っている。

2021年のBANGER!!!の取材で、Fukaseは売れる前からの友人に長年油絵を教わってきたと話している。もともとはライブグッズ用の絵を描くためだったという。その友人は、デッサンを一から積み重ねるより、今のFukaseに描けるものを生かし、最初からオリジナリティを出せばいいと勧めた。

技術を習得してから自分のスタイルを探すという常識とは逆の教えだった。彼はその考え方を受け入れ、ものの形を正確に写すより、自分が愛せる生き物や色を描く方法を続けてきた。

『ブルーノ』に登場する動物たちも、既存の動物キャラクターの引用というより、図鑑を見たりさまざまな生物を描いたりする試行錯誤から生まれている。タルカスをキツネザルにしたのは、いくつも描いた中で一番かわいく、自分が愛せる姿だったから。感情を表す尻尾の動きも気に入っていた。王様をヘビにしたのは、表情の読みにくさが物語に必要だったからだ。

つまり絵の技術は、単に完成度を高めるためのものではない。自分が描ける形を突き詰めることと、物語に必要な表情を設計することがつながっている。 『ブルーノ』の手描きの不思議な質感を、上手い・下手という基準だけで見るのは惜しいと思う。

本人インタビュー:BANGER!!!(2021年)・絵の師匠との関係/好書好日(2022年)・生物図鑑とキャラクター設計

柔らかな絵の奥に、わざと小さな刺を隠す

『ブルーノ』の見た目は明るい。カラフルで、少し奇妙で、子どもが手に取りたくなるような生き物がいる。

でも、本人の説明によれば、それこそが狙いだった。Fukaseは好書好日の取材で、自分の伝えたいメッセージが強いからこそ、柔らかく包んだ方が人に届くと話している。ふわふわしたクッションの内側に小さな刺を隠し、読んだ人が後になって何かを思い出すような伝え方を望んでいた。

ここに、2010年の明るいメロディーや、2014年のファンタジーと同じ仕組みがある。

まず入り口は楽しめるものにする。けれど、何かが引っかかる。その違和感が、聴き終えたり読み終えたりした後も残る。明るい表現は暗い内容を薄めるためではなく、暗い内容が人の心へ届くための形にもなり得る。

実際の絵は手と指で油絵具を直接混ぜながら描いたそうだ。筆のきれいな線で整えるのではなく、色と色を自分の手で混ぜる。画面のどこに何を置くかだけでなく、どんな触感を持った生き物に見せるかまで自分で作っている。

また、音楽でも絵でも、作品の世界へ深く入り込んだ状態でなければ仕上げにくい場面があると語っている。音楽家だから片手間に絵本を作った、という説明では足りない。別の表現手段を使って、同じくらい真剣に自分の世界を作った仕事なのだ。

出典:好書好日(2022年)・表現の包み方と油彩の制作過程

映画『キャラクター』では、なぜ殺人鬼を演じたのか

絵本と並べると意外なのが、2021年の映画『キャラクター』だ。Fukaseはこの作品で、殺人鬼の両角を演じた。柔らかい印象の歌声やファンタジックなステージとは対照的な役柄だった。

ただし、ここで「暗い過去があるから殺人鬼に共感したのだろう」と結びつけるのは不正確だ。本人は取材で、役の持つ欲望や殺人衝動を理解することが難しかったと話している。

そこで、声のトーンや子どもの表情の観察を役づくりに用い、さらに感情を探るために油絵も描いた。監督がその絵を気に入り、劇中には大きな油絵が登場している。

興味深いのは、Fukaseがこの仕事では監督の世界の中へ入り、俳優という役割に徹したことだ。自ら物語やライブを組み上げる仕事とは違い、誰かの用意した世界を、自分の身体と声で表現することに解放感を覚えたと話している。

歌、絵、演技のすべてに「自分の暗い部分を見せたい」という共通の説明を当てはめる必要はない。むしろ、ある表現に必要な形へ自分を変えようとする柔軟さが見えてくる。

出典:シネマトゥデイ(2021年)・『キャラクター』役づくりの本人インタビュー

Tyler, the Creatorに見る「尖っているのに品がある」美意識

音楽や映画だけでなく、ファッションにもFukaseが名指しした影響源がある。2025年の『10 Magazine Japan』で彼は、現在気になるアーティストとしてTyler, the Creatorを挙げ、キャッチーな色彩を使いながらも品を失わず、尖った印象と清潔感を両立させているところに惹かれると話した。

ファッションを音楽と切り離された趣味だと扱うのはもったいない。2019年のEYESCREAMで彼は、SEKAI NO OWARIのステージ衣装を、観客の子どもたちも真似しやすいマスコットのような姿として考えていると説明していた。本人の私服の趣味と、バンドで何を見せたいかは意識的に使い分けられている。

それならば、Tyler, the Creatorの衣装そのものを『Circusm』の元ネタと断定するのは不適切だ。しかし、色や形が強くても品を失わないという価値観を本人が明言していることは、ソロのビジュアルが単に過激になったわけではないと理解する助けになる。

韓国のビジュアルディレクターRoh Jaehoonとの出会い

実際の『Circusm』では、韓国のビジュアルディレクターRoh Jaehoon(ロロ)との協働が新しい刺激になっている。Fukaseは2025年のGQ JAPANで、ロロからソロのコンセプトを求められたとき、明確な文章では説明できず、代わりにたくさんのデモ音源を作って渡したと話した。

その後、ロロが提案したビジュアルはFukase自身の発想にない角度からのものだったという。長くエンターテイナーとして観客へ届けることを意識してきた自分なら、無意識に止めていたかもしれないアイデアを、そのまま実行できた。

これは、影響を受けることが単なる模倣ではないと示すエピソードだと思う。自分の中にない選択肢を、他者との共同制作によって許せるようになる。 だから2025年のソロ活動には、10代から好きだった音楽への回帰だけでなく、新しい人と組むことによる変化もある。

本人インタビュー:10 Magazine Japan(2025年)・Tyler, the Creatorへの評価/EYESCREAM(2019年)・衣装の設計/GQ JAPAN(2025年)・Roh Jaehoonとの制作

2025年、なぜSEKAI NO OWARIではなくソロでラップを始めたのか

そして2025年、Fukaseはヒップホップアーティストとしてソロ活動を本格始動した。11月には「Bad Entertainment」、12月には「Bullying Lovers」「I see you」、そしてソロアルバム『Circusm』が発表された。

彼はGQ JAPANとHypebeastの取材で、バンドを大きく変えてラップへ移行することは選ばなかった理由を説明している。SEKAI NO OWARIには、長く応援してくれたファンやメンバーと作り上げた役割がある。年齢を問わず届く作品を作るという目標を捨てずに、もっと過激な言葉やビジュアルを試すには、ソロという別の場所が必要だった。

これを「本音はラップで、バンドは嘘だった」と読むのは、本人の言葉に反すると思う。どちらも本気で、ただ届ける相手も、表現の条件も違う。

実際に本人は、バンドでポップスを続けていく責任から少し離れられることを、ソロならではの感覚として語っている。新しい場所を得ることは、すでに持っている場所を否定することではないのだ。

『Circusm』は、暗さをむき出しにしただけの作品ではない

アルバム名はcircus(サーカス)とsarcasm(皮肉)を掛けた造語。本人は、個人的な記憶、現代社会、メディアとの関係、家族や友人をめぐる感情が入り交じる作品だと説明している。

ここが面白い。「今度こそリアルをそのまま見せる」と言うだけなら、サーカスという言葉は必要ないかもしれない。でも彼は皮肉とサーカスを結びつけ、ダークなユーモアを表現の中心に据えた。

バンドではファンタジーに包み、ソロでは皮肉を使う。 どちらも、生々しい現実をそのまま差し出すのではなく、別の形にして見せるという点では似ている。

2025年のVOGUE JAPANでは、韓国のビジュアルディレクターRoh Jaehoonと組み、SEKAI NO OWARIでは表現しにくい映像世界へ踏み込んだと語っていた。ソロの新しさは、ラップというジャンルだけでなく、映像やファッションまで含めて自分の表現の許容範囲を広げたところにもある。

出典:ユニバーサル ミュージック・『Circusm』本人コメント/GQ JAPAN・バンドとの両立について/Hypebeast・『Circusm』創作インタビュー/VOGUE JAPAN・Roh Jaehoonとの対談

ラップを始めて、バンドの歌詞の書き方まで変わった

もう一つ、ソロ活動を「別名義での趣味」としては扱えない理由がある。

FukaseはGQ JAPANで、ラップの制作によって言葉を生み出す速度が上がり、歌詞を書くときの思考の運び方も磨かれたと話している。歌う言葉の量が多いラップでは、考えを止めずに表現し続ける必要がある。その訓練がSEKAI NO OWARIでの制作にも戻ってきているという。

面白いのは、ソロの方がバンドにとって危険かもしれないという懸念と、ソロがバンドを長く続けるための力になるという可能性が、同時に存在していることだ。

もちろん、今後のどの曲にどう影響したかは、これからの作品を聴かなければ分からない。それでも、本人が明確に「ラップで得た経験がバンドにも還元される」と語っていることは重要だ。

出典:GQ JAPAN(2025年)・ラップが作詞にもたらした変化

影響を受けたものは、どこで自分の作品になったのか

ここまで、本人が挙げた具体的な作品や人物を、制作との関係で整理してきた。

影響を受けたもの 本人が語った関係 作品への接続
国語の先生・俳句 文章を書く力への自信をくれた 歌詞を作る原点の一つ(本人の回想)
『魔法にかけられて』 何度も繰り返し観た好きな映画 現実とファンタジーの混在は記事の考察。直接の元ネタとは未確認
『20世紀少年』などの漫画 正義と悪の曖昧さへの関心を語った 『ブルーノ』の二つの視点との共通性は記事の考察
ルネ・マグリット 実物の絵から物語を発想 ライブ『The Dinner』の着想源(本人証言)
ライブ『Tarkus』 2017年に物語を構想 『ブルーノ』の直接の原型(本人証言)
絵を教えた友人・生物図鑑 自分なりの描き方や生物の造形を学んだ 『ブルーノ』の画風・キャラクター設計(本人証言)
OZROSAURUS 音楽だけでなく横浜への憧れを生んだ 自作の歌詞に横浜が登場することへの影響(本人証言)
Eminem 10代から聴き、服装にも影響を受けた ラップの原点の一つ。ただし特定曲への直接影響は未確認
Tyler, the Creator / Roh Jaehoon 色彩観への共感/共同制作による刺激 ソロの視覚表現を考える上での手がかり(それぞれ発言の範囲が異なる)

こうして比べると、直接的な引用・着想、長く続く好み、他者との出会いから生まれる変化という、少なくとも三種類の影響がある。これらを無理やり一本の因果関係にまとめないことこそ、Fukase個人を深く読むために必要だと思う。

『ブルーノ』と『Circusm』を並べると見えてくること

かわいい動物の絵本と、皮肉をまとったラップアルバム。この二つを並べると、見た目の共通点はあまりない。

それでも、表現の仕組みを比べると似たところがある。

  • 『ブルーノ』では、子どもも親しめるカラフルな絵や、両側から読める仕掛けの奥に、他人と分かり合うことの難しさを置く。
  • 『Circusm』では、ヒップホップのビートや皮肉、強いビジュアルの奥に、自分の記憶や社会との摩擦を置く。
  • SEKAI NO OWARIのポップスでは、ファンタジーや冒険の物語の奥に、日常の矛盾や個人的な出来事を置いてきた。

ただし、この三つを完全に同一視することもできない。絵本は相手の立場に立ち直すための構造を持ち、ソロは自分の感情をより鋭く出せる場所で、バンドには共同制作と幅広い観客へ届ける使命がある。

共通するのは、伝えるために形式を選び、その形式の中で何を見せ、何を隠すかを考え続けるという点ではないだろうか。

彼の光と闇は、どちらかが本物でどちらかが仮面なのではない。人間の中には、優しさと怒り、信頼と不信、孤独と他人への期待が同時にある。Fukaseは、それらを一つの音色にまとめるのではなく、歌や物語や絵やラップへ分けて見せてきたように思える。

Fukaseの作品がファンタジーに見える理由

Fukaseの音楽を「夢のような世界」と紹介するのは間違いではない。でもその夢の中には、かつて彼が実際に見た景色や、誰かとの関係から生まれた気持ちが残っている。

若い頃の日本語ラップへの憧れ。言葉にしづらい気持ちを、ポップなメロディーへ置き換える工夫。絵本で「同じ出来事が違って見える」仕掛けを作ったこと。そして大人になってから、改めて自分の言葉でラップを始めたこと。

こうして順に見ていくと、表現のジャンルは変わっても、ただ違う人になりたいわけではないのだろうと感じる。

暗いことを暗いまま言えば伝わるとは限らない。明るい表現で包んだからといって、伝えたいことが軽くなるわけでもない。

『ブルーノ』を読んでから初期の楽曲を聴くと、ファンタジーの見え方が少し変わるかもしれない。逆に『Circusm』を聴いた後で絵本を開くと、あの柔らかな絵の奥にある、とても鋭い問題意識に気づくかもしれない。

初期のインタビューにあった「映画を一本作るように歌詞を考える」という発想が、マグリットからライブを生み、ライブ『Tarkus』から絵本『ブルーノ』を生む構想ともつながって見える。そして10代から好きだったOZROSAURUSやEminemが、長い時間を経てソロのラップという形でも表に出てきた。

ただし、すべてが「この作品に影響されたから、この曲が生まれた」という単純な話ではない。Fukase自身が語っているとおり、日常の出来事や人の表情、周囲の友人や先生とのやり取りも大きな創作の材料だ。

僕が今回おもしろいと思ったのは、彼が影響を受けたものを、そのまま自分の作品へ写していないことだった。マグリットの一枚の絵は観客を食べるライブになり、2017年の舞台上の物語は両側から読める絵本になった。ラップに救われた少年はポップスを選び、その経験を持ったまま大人になって再びラップへ帰ってきた。

Fukaseの光と闇を一枚の写真のように固定するのは難しい。彼がどんな作品に触れ、何を受け取り、時間をかけて何へ変えてきたか。その動きを追うことが、彼という表現者を理解する一番確かな入口なのかもしれない。

これまでの人生の経緯や「銀河街の悪夢」「Dropout」については、関連記事「Fukase(SEKAI NO OWARI)はなぜ『世界の終わり』から始めたのか」で、本人の発言をもとに整理している。

参考・出典

今回の改稿で新しく掘り下げた影響源:CINRA(2010年)映画・漫画・映像から歌詞を作る方法/Fashion Press(2021年)国語教師・日常の体験/EYESCREAM(2019年)マグリットと『The Dinner』/BANGER!!!(2021年)『明日の記憶』・絵の師匠/好書好日(2022年)『Tarkus』から『ブルーノ』へ/Hypebeast(2025年)OZROSAURUSとEminem/10 Magazine Japan(2025年)ファッションの影響源。

下記の一次取材・公式発表を主に参照した。作品の間に共通性を見いだす部分は記事独自の考察であり、Fukase本人が特定の作品同士の関係を直接明言したものではない。

コメント