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大森元貴はなぜ弱さを歌う?「僕のこと」から「シンデレラ」まで歌詞と本人の言葉で読み解く

人の言葉と生き方

Mrs. GREEN APPLEの大森元貴さんは、なぜ「弱さ」を歌い続けるのだろう。

「僕のこと」「Soranji」「ケセラセラ」「ダーリン」。多くの人に希望を届けてきた曲を丁寧に聴くと、孤独、羨望、敗北感、愛されたいという気持ちが、そのまま残されていることに気づく。苦しさを消してから前向きになるのではない。苦しさを抱えている自分のまま、どう生きていくか。そうした問いが曲の奥にあるように感じる。

そして2026年、バンドは「フェーズ3」に入り、アルバム『POPS』を発表。10月23日に公開された「シンデレラ」のMVでは、大森さんが初めて監督・企画・脚本を務め、作品の受け止め方をめぐって賛否も生まれた。これは単なる新曲のニュースなのだろうか。

この記事では、少年時代の創作への執着、過去の楽曲で描かれてきた感情、活動休止と突発性難聴、ソロ活動、そして現在進行形の「シンデレラ」までを本人の発言と公式資料からたどる。歌詞の読み取りは筆者の解釈として明確に分け、作品を本人の病歴や私生活の告白だと決めつけない。

この記事でわかること

  • 大森元貴さんは、どんな思いで音楽を始めたのか
  • 「僕のこと」「Soranji」「ケセラセラ」「ダーリン」の歌詞は何を問いかけているのか
  • バンドの活動休止、突発性難聴、ソロ制作を本人はどう語っているのか
  • 2026年『POPS』で「大衆に届ける」という考えはどう変わったのか
  • 「シンデレラ」MVの監督として何を描き、なぜ評価が分かれているのか

取材・資料の確認基準日:2026年10月27日。2026年10月の評価や反応は変化し得るため、公開後も更新する。

大森元貴は、なぜ音楽に人生を懸けたのか

大森さんの表現を理解するために、まず有名になってからの活動ではなく、音楽を始めた頃へ戻りたい。2026年に紹介された『Numéro TOKYO』のインタビューで、大森さんは、中学時代には学校に行かず部屋で毎日何曲も書いていたこと、テレビの向こう側の人に憧れ「早く認められたい」という焦りもあったことを振り返っている。

ここで重要なのは、ただ「早熟な天才だった」と称えるだけでは見落とすものがあることだ。彼の言葉には、学校から距離を置いて音楽を作る自分を正当化したいという気持ちが登場する。人と違う道を自分で選んでいても、その選択を疑う視線に傷つかないわけではない。

2026年の小高和剛さんとの対談では、先に「何かを創りたい」という衝動があり、その表現手段として音楽に出会ったという趣旨も語っている。だから大森さんは、歌手やバンドマンという肩書だけでは説明しきれない。歌詞、音、映像、物語へと表現の場を広げてきたことにも、一本の線が引ける。

出典:TOWER RECORDS ONLINE/Numéro TOKYO誌面紹介

出典:ファミ通.com/小高和剛×大森元貴対談

「僕のこと」:大勢に届く音楽の中に、消えない孤独がある

2019年の「僕のこと」は、大森さんの作家性を考えるうえで外せない。ユニバーサルミュージックのオフィシャル・ライナーノーツによると、大規模ライブを終えた翌日に書かれた曲だという。観客から大きな歓声を受けた直後に、歌詞には誰かと完全にはわかり合えない孤独がにじむ。

その解説に登場する大森さんの発言は、とても印象的だ。

「僕が作る音楽は、昔も今も、僕のSOSなんでしょうね」

成功していないから孤独なのではない。人から評価されることと、自分の内側のさびしさが消えることは別なのかもしれない。ここで歌われるのは、努力は必ず報われるという楽観ではなく、思うようにならない現実を知りながら、それでも今日という日を生きる感覚だと僕は読む。

こうした二面性は、ミセスの華やかなサウンドだけを聴いていると見落としやすい。しかし、希望の言葉に説得力があるのは、悲しさや理不尽さを先に見ているからではないだろうか。

出典:Mrs. GREEN APPLE『5』オフィシャル・ライナーノーツ

「Soranji」:生きることを簡単な美談にしない

2022年の「Soranji」は、映画『ラーゲリより愛を込めて』の主題歌として制作された。本人への音楽ナタリーのインタビューでは、映画の重い題材に向き合いながらも、制作の入口として「誰かを強く思う気持ち」を据えたことが語られている。

歌詞に現れるのは、傷ついたことや時間が過ぎたことをなかったことにしない視線だ。「今日まで耐えたのだから明日からは必ず楽になる」と保証するのではなく、抱えてきたものを抱えたまま、今日という時間の価値を見つめる。そんな言葉の選び方に感じられる。

ここは「僕のこと」ともつながる。前者が自分と世界との距離を見つめた曲だとすれば、後者は自分だけではない誰かの命や歩みへ、まなざしを広げた曲として読むことができる。ただし、どちらも歌詞の話者と大森さん本人を一対一で重ねられるわけではない。

映像:「Soranji」公式MV(YouTube)

出典:音楽ナタリー/「Soranji」特集インタビュー

「ケセラセラ」:勝つことより、負けないでいること

2023年の「ケセラセラ」は、明るいメロディだけを聴くと軽やかな応援歌に思える。でも本人は、BARKSの取材で、劣等感や敗北感を抱えながら生きる人を描きたかったと説明している。

そのとき話したのが、「勝てなくてもいいから、負けないでいることの強さ」という考え方だ。

ここでいう「負けない」は、無理を重ねて結果を出し続ける意味ではないと思う。目の前の生活をなんとか回し、自分を失わずにいること。人と比べると小さく見える営みも、その人にとっては大切な前進かもしれない。

この曲はドラマ『日曜の夜ぐらいは…』の脚本への共感から生まれた。歌詞の主人公の感情を、そのまま大森さんの日常や症状として読むことは避けたい。ただ、大森さんが他者のしんどさを言葉に変えるときに、どれだけ慎重であろうとしていたのかはインタビューからうかがえる。

映像:「ケセラセラ」公式MV(YouTube)

出典:BARKS/「ケセラセラ」を語る

「ナハトムジーク」「ダーリン」:人間の弱さは、きれいに整理できない

「ナハトムジーク」では、やさしい言葉だけを選ばない

2024年の「ナハトムジーク」について、Billboard JAPANのインタビューで大森さんは、「ケセラセラ」などの次にこの曲を発表することの落差にも言及していた。誰にでもわかりやすい励ましばかりを連続して届けるのではなく、作品ごとに間口と奥行きを変えている。

相手を愛したいのに傷つける、理解したいのにうまく理解できない。そんな矛盾は、ひと言で「ポジティブ」に置き換えられない。大森さんの歌詞には、善良で明るい感情だけでは人間を表せないという姿勢が見える。

「ダーリン」では、他人との比較から「自分自身」へ問いが戻る

2025年の「ダーリン」は、比較や承認への渇望から始まり、自分自身をどう受け入れるのかという問いに向かう。注目したいのは、歌詞の話者が揺れるような感覚だ。大森さんは『絵画』をめぐるBillboard JAPANのインタビューで、自作の歌詞では一人称が変わることがあり、それを整えすぎると最初のニュアンスが失われる場合があると語っている。

一人称が一定でないことを単純な表記ゆれとは捉えず、同じ人の中にある複数の気持ちを表す方法として読むこともできる。ただし「ダーリン」の一語一語に本人が明示した意図があると断定はしない。これは歌詞を読んだ僕たちの解釈だ。

映像:「ダーリン」公式MV(YouTube)

出典:Billboard JAPAN/大森元貴「絵画」インタビュー

出典:Billboard JAPAN/2024年インタビュー

活動休止、突発性難聴、ソロ制作――「続ける」ための形を探してきた

Mrs. GREEN APPLEは2020年に「フェーズ1」完結を宣言し、活動を休止した。2022年にフェーズ2を始動し、音楽性や表現領域をさらに広げていく。大森さんはGQ JAPANで、従来のバンド像に自分たちを縛りつけていた面があったことや、商業的な音楽制作と反骨的な表現の両立について語っている。

そして2024年1月、左耳の聞こえづらさから受診し、突発性難聴と診断されたことが公式に発表された。当時の方針は、医師による治療を受け、本人の意思を尊重しながら活動を続けるというものだった。2024年2月には本人が治療中の気分の不安定さにも言及したと報じられている。

注意したいのは、これらを「働きすぎが病気の原因だった」と結論づけないこと。公式発表で確認できるのは診断と活動方針であり、発症の医学的原因や現在の聴力の状態まではわからない。

2025年、大森さんはソロ制作を自分の心身の健康にも必要なものとして語った。バンドが大きくなるほど、作品に背負わせる期待も大きくなる。そうした中で、表現する場所を増やすことは、仕事を増やすだけではなく、自分にとって必要な創作の形を確保する行為にも見える。

「好きな仕事だから、どれだけでも頑張れる」と「好きな仕事を長く続けられる」は同じではない。暮らしをなおすでは、この違いを大切に考えたい。

出典:Mrs. GREEN APPLE公式発表

出典:スポニチアネックス

出典:GQ JAPAN

出典:Billboard JAPAN

2026年「フェーズ3」と『POPS』――広く届けるほど、内側を描こうとする

2026年1月に始まったフェーズ3の最初のオリジナルフルアルバムが、9月30日発売の『POPS』だ。16曲を収めたこの作品について、大森さんは、広く知られるようになったからこそ理解してくれる人だけに届けばよいという姿勢ではいられない、と合同取材で説明した。「POPS」というタイトルには、自分たちへの戒めという意味も込めたという。

ここで逆説的なのは、アルバムが「わかりやすく明るい曲だけ」を集めたわけではないこと。大森さんは取材で、暗い表現や内省的な言葉を含む曲も「ポップス」として差し出すことに意義を見いだしている。

僕はこの発言を、より多くの人に合わせて角を落としていく宣言とは受け取らなかった。むしろ人間の影や矛盾を含む音楽を、できるだけ多くの人が聴ける形へ変換するという、難しい挑戦に思える。

ファンが増えたことで本人の創作が楽になったと決めつけることも、逆に傷ついていると断定することもできない。ただ、多くの人に届く表現には「何を語るか」だけでなく「どう受け取られるか」という新しい問いが生まれる。その問いが最も見えやすいのが、次の「シンデレラ」だ。

出典:日刊スポーツ/2026年9月30日

出典:中日スポーツ/2026年9月30日

出典:Skream!/2026年10月号

『POPS』の「Really Really」――2018年の自分が、2026年の大森元貴に問いかける

ここで、アルバム『POPS』の「Really Really」にも触れておきたい。2026年10月のSkream!のロングインタビューで、大森さんはこの曲について、2018年のライブでも披露したことがある古い楽曲を、今回あえてアルバムに収録したと語っている。

この曲を作った頃の自分について、大森さんは、音楽で広い世界に出たいという願いを持ちながらも、自分が何者なのかわからず、自分自身を疑い続けていたことを振り返った。印象的なのは、現在の大きな成功を経ても、その考え方のポイント自体は変わっていないと話していることだ。

楽曲の細部や歌詞の強さをあえて薄めず、「バンドをやろう」という感覚で収録したという本人の説明は重要だ。フェーズ3を、以前の自分を卒業し、すべてを肯定的に受け入れられるようになった段階だと見るのは違うのかもしれない。

僕はここに、今回の記事全体を貫く一つの答えがあると感じた。大森元貴の変化とは、弱さや疑いが消えることではない。かつてその感情を抱いて書いた音楽を、より多くの人に届く立場になった今も、自分の作品として引き受け直すこと。その行為自体が、過去と現在をつないでいる。

アルバムに暗い曲があるからといって、今の本人が暗い気持ちで過ごしている証拠にはならない。一方で、明るいポップスを発表しているからといって、疑いが消えたとも言い切れない。作品と本人の心理の間に、適切な距離を置いて読む必要がある。

出典:Skream! 2026年10月号インタビュー(「Really Really」の制作背景)

「シンデレラ」の歌詞は何を描いているのか

「シンデレラ」は『POPS』収録曲。歌詞の冒頭では、主人公が自分は必要とされているのかを誰かに確かめようとする。その後も他人を妬む気持ち、欲張りだとわかっている自分、愛されたいのに自分の選択に迷う感情が続く。

「いい」と言い聞かせながら、まだ確信できていない

歌詞の面白さは、肯定が最初から完成していないところにある。自分を受け入れるように振る舞いながらも、その直後には不安や問いが戻ってくる。強い人になってから自分を愛するのではなく、弱さや醜い感情を知っている自分をどう扱うのか。その揺れが表現の中心にあると感じる。

「憧れ」の相手が変わる

物語の前半で主人公は自分がシンデレラであると願う。しかし途中では、愛される人、純粋に見える人、裕福な人へと目が向く。憧れが、自分の目指す姿から、比較の相手へと変わっていくように聞こえる。

そして終盤には、痛みを含んだ自分自身の歩みへと視線が戻ってくる。これは「誰より幸せになったから自分を認められた」という物語ではない。比較をやめられない自分や、きれいに振る舞えない自分も含めて、ここに生きていると認める。その読み方ができるのではないだろうか。

もちろん、歌詞の主人公は大森さん本人ではなく創作上の話者だ。歌詞から本人の私生活やメンタルヘルスを推測するのではなく、何をどう表現したかに焦点を当てたい。

出典:歌ネット/「シンデレラ」歌詞

映像:「シンデレラ」公式MV(YouTube)

大森元貴が初監督したMVは、なぜ議論になったのか

2026年10月23日に公開された「シンデレラ」のMVは、大森さんが初めて監督・企画・脚本を担当した。制作発表では、レコーディング段階で生まれた構想を約8ページのプロットにまとめ、出演者の選定から演技、撮影や美術まで自身でディレクションしたと説明されている。

主人公は幼い頃の憧れと現実の違いに直面し、キャバクラで働く女性として描かれる。制作側は現場で働く人へのヒアリングも行ったという。理想像を描くアニメーションは、手描きのキャラクターとAI技術を組み合わせた制作過程もメイキングで公開された。

肯定的な評価は何を見ているのか

公式の説明では、MVは主人公が弱さや葛藤と向き合いながら、自分の愛し方を見つけていく物語と位置づけられている。視聴者が、職業や収入、他者からの評価とは別に、自分の人生に価値を見いだそうとする姿として受け取るのは自然だと思う。

批判的な受け止め方には、別の問いがある

一方、Smart FLASHなどは、主人公をキャバクラ勤務の女性にしたことや、男性との接触の場面、幼少期の記憶との対比をめぐって、一部のSNS投稿から疑問が出ていると報じた。批判は「夜の仕事を登場させるな」という一種類の意見だけではない。ある職業を苦境や救済の象徴として描くことが、実際にその仕事をする人の姿を狭く捉えてしまわないかという問題提起もある。

反対に、その職業が登場するだけで作品が仕事自体を否定・推奨したことになるわけでもない。作品で描かれる人物の状況、歌詞のメッセージ、見る側が持つ職業観を分けて考える必要がある。

問題は、意図だけでも反応だけでも決まらない

「本人はこういう意図で作ったのだから誤読した側が悪い」とも、「批判が起きたのだから作品が間違いだ」とも簡単には結論を出せない。監督としてどの立場から誰の人生を描いたのか、取材によって何を反映できたのか、短い映像の中で何が省略されたのか。その全体を検討する必要がある。

さらに、公開から日が浅い2026年10月27日時点では、MV批判に対する本人の総括的な説明が十分に確認できているわけではない。批判を覚悟して作った、批判で深く傷ついた、といった心情はここでは推測しない。

出典:Billboard JAPAN/2026年10月25日

出典:USEN encore/2026年10月26日

出典:Smart FLASH配信記事/2026年10月25日

関連資料:公式「MV Behind the Scenes」公開告知。本編とあわせて制作過程を見ると、映像の選択をより具体的に考えられる。

2026年の大森元貴は「弱さ」をどう大衆に届けようとしているのか

ここまでを振り返ると、過去の曲も最新作も「ポジティブな人だから励ませる」という単純な説明には収まらない。「僕のこと」には消えない孤独があり、「Soranji」には他者を思うまなざしがあり、「ケセラセラ」には日々を耐える人への視線がある。「ダーリン」では他人と比べる自分に問いが戻り、「シンデレラ」では羨望や嫉妬を抱えた主人公が、その人生を自分のものとして引き受けようとする。

一方、本人が語る創作のあり方は変わっている。自分の内側から生まれたSOSのような表現が、多くの人の音楽になった。大きくなったバンドの役割を自覚しつつ、ソロでは自分のための創作も続ける。さらに監督として、歌詞を具体的な人物の物語へ翻訳し始めた。

僕が今の大森さんに感じるのは、「弱さを歌わなくなった」のではなく、弱さを誰に、どのような形で差し出すかを考える段階に進んだのではないかということだ。ただし、それはあくまで公開された発言と作品からの読み取りであって、本人の心の中を断定するものではない。

今後のインタビューで「シンデレラ」の描写や反応について本人が新たに語れば、この記事の解釈も見直す必要がある。現在進行形の作品だからこそ、結論を固定せず追いかけたい。

大森元貴の言葉にもう少し触れたい人へ:絵本『メメント・モリ』

大森元貴さんは2021年、ソロ作品をもとにした絵本『メメント・モリ』を発表している。文は大森さん、絵は大谷たらふさん。大切な人との別れを題材に、死生観を物語として表した作品だ。『Soranji』などに通じる「命をどう見つめるか」という視点から、気になる人にとって自然な次の入口になる。

ただし、ここでは出版社が公開する書誌情報に基づいて紹介しており、筆者が実際に読んだ感想ではない。購入前に出版社の案内も確認してほしい。

作品情報:KADOKAWA公式 / 楽天ブックスで見る / 出版社が案内する購入先一覧(Amazon等)

現時点のリンクは通常リンク。アフィリエイト用リンクには差し替えていない。

まとめ:希望の歌は、弱さが消えた証拠ではない

大森元貴さんの歌詞を横断して読むと、変化したことと変わらないことの両方が見えてくる。孤独や劣等感は何度も現れる。でも誰に向けて、どの距離で、その感情を歌うかは変わっていく。

フェーズ3の「シンデレラ」は、これまで作品の内側にあった問いを、具体的な社会の中に置いた作品だと感じる。だからこそ肯定だけでなく、違和感や批判も生まれるのかもしれない。人が弱さを持つことを肯定するのと、その弱さをどう表現するかを問い直すことは両立する。

一人のアーティストを好きであることと、作品のあらゆる部分を肯定することも同じではない。そうした複雑さごと考えられる作品に、これからのミセスの面白さがあるように思う。

編集方針:歌詞の長文転載を避け、作品解釈と本人の公表・発言を区別。2026年10月の議論は今後更新する。

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